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淀君168cm、お市の方165cm、織田信長170cm、豊臣秀吉150cm、伊達政宗159cm、坂本龍...

ded********さん

2012/1/108:18:52

淀君168cm、お市の方165cm、織田信長170cm、豊臣秀吉150cm、伊達政宗159cm、坂本龍馬170cm、浅井長政182cm、豊臣秀頼197cm、徳川綱吉120cm台
最近、NHKや民放で報じられた情報に基づく身長データです。

こうして見ると、昔の有名な士たちも、結構小柄な人が多かったようですね。

その一方で、織田信長や浅井長政の家系の女性たちが現代でも大柄とされるほど高身長なのに驚かされます。
当時は相当カッコよくて、戦国武将たちのあこがれの的だったのでしょうか?
淀君は、自分より30歳も年上で、身長も18cmも低く、風貌も猿のような親の仇(かたき)と結婚しなければならなかったので、精神的にも肉体的にも全く満足も納得もできず、相当辛かったのでしょうね。

浅井長政や豊臣秀頼のようなヨーロッパ人種にも引けを取らない体格の人がいたことも驚きですね。

歴代の徳川家の将軍の身長にぴったり合わせて加工された木の板が東京のどこかのお寺(放送されていましたが忘れました)に保管されているそうです。
徳川綱吉の身長は、当時としても異常に低く、発育不全だった可能性もあるそうです。

こんな情報もっとお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。

補足歴史上の人物の漢字表記をきちんと確認せずに投稿してしまったため、いくつかの誤字がありましたので、それを訂正しては投稿し直しました。
もちろん、訂正前の質問は削除してあります。
それが違反になるのでしょうか?

それより、みなさんも面白い情報がありましたら、ぜひお寄せください

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ベストアンサーに選ばれた回答

oto********さん

2012/1/423:13:44

わざわざリクエストしていただいたので、以前書いたことに追加の部分を入れます。

斎藤道三の息子で、織田信長のライバルだった斎藤義龍は6尺5寸殿と言われた約195センチ。

加藤清正は大男のイメージがあるが、実は身長約150センチの小男だったらしい。なぜこれが言えるかというと、清正が着けていた甲冑が残っていて、これのサイズが非常に小さい。清正と言えば、鯰尾の兜が有名だが、形状を観ればわかるとおり、これをかぶるとコックの帽子のように遠くからは背が高く見える。同じく鯰尾の兜で有名な前田利家は当時としては大男の部類であるから更に大男に見えることになる。考えてみれば、秀吉はチビだったし加藤も福島も親類なのだからチビである方がむしろ自然であったとさえ言える。
もっとも、清正はやはり大男だったという説もあるのだがこっちは物証がないようである。名古屋には、秀吉と清正の記念館があり隣には中村区立図書館がある。私は2回ここに行ったことがあるのだが、2回目に行った時は、清正の背は高い?低い?という企画展をやっていて、両論併記していたものの、清正着用の甲冑で推定すると、150センチ程度という事を表示していたのであった。

ちなみに別の歴史博物館(どこだか忘れました)では、一部の人に人気のある前田慶次郎所用の甲冑も展示していて、それから体格を推定すると、当時としては大男だったということであるが、推定身長の数字は忘れました。多分170センチくらいだったという気がします。

質問した人からのコメント

2012/1/8 18:44:00

みなさん、ありがとうございました。
調べてみると面白いものですね。
身長は人の第一印象を決定付ける大きな要素の一つなので、ドラマや映画で描かれているシーンと実際はまるで違うものだったことでしょう。

ベストアンサー以外の回答

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fjk********さん

編集あり2012/1/323:39:24

こうした身長に関する情報は墓の発掘の場合以外は少なくて、それも良い意味で記録が残されたものは戦国時代の武将などに限られてきます。いまの時代とは違って身長など高くても恰好よくはなく奇妙でしかなかったからですし、そもそも家庭生活では多少の身長差はそれほど気にはならなくなります。女性はそれほど頻繁に立ち歩く姿を男性に見せることがなかったとされますし、男性としても大勢と立ち並んで比較されるような身分の人はそもそも風采は上がらないですし、ほかと比べて一人背が高いと言うだけでは自慢にはなりません。勇猛で有能なたくましい武将としての名がなければ、立派であるとは見られません。

また資料の信ぴょう性から言って背が高くて馬鹿にされたという場合は信ぴょう性が高いですが、身長が高くて礼賛されたという場合の信ぴょう性は低くなります。安土桃山時代に身長に対する記述が出てくるのはやはり、身長の高い欧米人を見聞きする機会が増えたことによるものと思われ、一時的な価値観の変異があったように思われます。ですから現代の感覚と同じであったと考えるのはいささか早急な見方です。

また、淀殿の秀吉観についておっしゃるようであるとすればあまりにみじめでまともな感覚は保てなくなるとおもうのですがどうでしょう。少なくとも秀吉の死後の淀殿にとって彼は誇りであり、慕わしい相手であり、精力的に寺社造営を実行していくうえでの精神的支柱であったことは間違いのない事実です。今も残るそうした建築の遺構に、明確に愛情の形が刻まれているのです。それもこれも実際の身長と風貌の面影が薄れたからだと言われればもっともな話ではありますが、つらい気持ちは決して消えずに強い嫌悪感としてどこかに必ず残るものですからね。

ほかにも身長の高いと言われる武将の話は源平時代にみられますが詳しい記述としては信ぴょう性はありません。義経の身長の低さなどは有名ですがそれほどでもないところを見ると、為朝の体格の良さなどはよほど印象的だったと思われます。対する平家においては比較される人物がないためか特筆されないようです。将門の身長についてなどは、信ぴょう性において疑わしくなってきます。いづれにしても武将の場合以外での身長に対する話題は少なく、その武将に比較して揶揄する意図で身長の低さを笑われるケースがほとんどです。こうしたことに注意して記述の信ぴょう性を考えたうえで考察されることをお勧めしたいですね。

mil********さん

編集あり2012/1/213:49:25

そりゃ昔の人は栄養状態も違ったんだから全体的に低いです。中には飛びぬけておおきい人もいましたが。
江戸時代のほうが戦国時代より平均身長が低かったらしいです。
ちなみに豊臣秀吉は小柄なことを気にして肖像画の服をおおきめに描かせたという逸話があります。

ところで徳川綱吉は位牌の大きさからですよね?根拠としてはかなり胡散臭いと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A8%B9%E5%AF%BA#.E6.AD.B4....

前田利家などは残っている衣や甲冑の大きさから身長が180cm以上あったと推定されています。
加藤清正も大柄説がありますが、一方で実際はそれほどなくナマズ尾の兜などで身長を高く見せかけてたという説もあります。
石田三成は小柄とされることが多いですが、実際は150台後半で当時としては平均的であったと推測されています。

old********さん

2012/1/108:43:31

同じ質問何回もしても、造反行為とみなしますよ

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