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人間にとっての「知」は何か、ということを勉強したいので、どのようにすればよい...

kul********さん

2012/2/822:48:53

人間にとっての「知」は何か、ということを勉強したいので、どのようにすればよいか教えてください。

私は正直哲学などには全然詳しくないので、専門的なことは分からないのですが、人間にとって「知」とはなんであるかを考えたいと思っています。

少しわかりにくいエピソードかもしれませんが、たとえば私は図書館や本屋に行くと、その本の多さにめまいがしてしまいます。
なんて自分の知識はちっぽなんだ、と。だからといって本をひとつひとつ読んでいって知識をつけたからといって立派な人間になるわけではないとも思います。
結局、断片的な知識を身につけたところで、局地的な知の中で生き続けることは変わらないのではないか。むしろ、人間の普遍性(?)といった問題から遠ざかっているのではないか、と感じてしまいます。
そもそも自分が「知識に圧倒される」のも、知に何らかの権力があり、方向性を持った存在だからなんだと思います。
たまたまこうした知の権力のある現代に生まれたわけですが、なんと言うか、一時代の、一地域の「知」に惑わされず、人間と知とのかかわりを考えたいと思っています。

この問題意識を考えていく上で、人間と知の関係性や、世界の認識に関することを勉強したいのです。
あまりまとまっておらず、しかも読みにくい文章かもしれませんが、何でも良いので、あなたの勉強法、考え方、価値観などに照らして色々な意見をいただけると幸いです。

お勧めの勉強方法や本の紹介もしていただけると助かります。

よろしくお願いします。

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回答数:
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ベストアンサーに選ばれた回答

yan********さん

2012/2/910:32:30

まず適当にもっとも難しそうな「知」に関係ありそうな本を見る。たぶん当然に何が書いてあるかわからない。ただそこには自分がわからないヒントがあるはず。調べるべき何かがつかめればそれについて別の本を探す。さらにわからない。どんどん探せばわかる本がおそらく出てきます。漢字をしらないから辞書を引くのと感覚的にはまったく同じです。質問者さんが読むべき本は私にはわかりません。何を知ってて何を知らないかがわかりません。ご自身しかわからない。

ちなみにこれは余計なお世話というやつですが、仮に質問者さんが圧倒されたのが知ではなく量だとしたらどうおもいます?何言ってるの?と思われるかもしれませんが。「圧倒された何かわからないもの」を「知」とした上でそれを知ろうとすることは、場合によって別の「わからない何か」と「わからない」ということでイコールで結ばれる可能性があります。わからない何かを「X」としたうえで「Xとは何か」を知ろうとするのは意味がある場合とない場合があります。なぜ「わからないという現象」が発生したのか?を考えねばならない場合があるわけです。もちろん自然科学的な証明が納得できるものであれば特段必要ではありませんが、「本当にあるかどうか今ひとつ微妙」というものには必要なアプローチと思われます。「ある」ことを前提にしたら「ない」可能性を考えなくなるからです。

質問した人からのコメント

2012/2/15 11:20:02

皆さん回答ありがとうございました。様々な意見を頂き、非常に参考になりました。
知という実態の無いものに対する現時点での思い込みや、姿勢を考えさせられました。
これから皆さんの意見を整理して、今後に活かして行こうと思います。

ベストアンサー以外の回答

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2012/2/922:44:02

ぼくは子供の頃から、おそらく異常なくらい「本当のことが知りたい」と思っていました。
本当のこととは、存在とは何か、自分とは何か、ということに関する本当のことです。
宇宙の果てや外がどうなっているか、という興味もありました。
しかし、その頃知ることのできる学問というのはすべて分化・専門化されていて、どの方向に進めば本当のことに辿り着けるのかが分かりませんでした。

実は、中学1年のとき、ぼくは本当のことを知ったのです。
ただ、本当のこととは「知」ではなく、「実在」なのです。
「知」とは人間が置き換えとして作ったもの、つまり概念の集合であり、実在ではないものです。
つまり、「存在とは何か、自分とは何か」という疑問自体が宇宙には実在しないということであり、そのとき、実在しないものはすべて消え去って、その結果実在だけが宇宙の本当の姿として現れたのです。
本当のことは「知」ではないので、ぼくはそれを体験しながらも、ぼく自身はそれを知ることができません。
(厳密に言うと、それを体験したのはぼくではなく、宇宙自身がそれに気づいたのです。)
だから、その後もぼくの疑問は解消されず、体験したことを何らかのかたちで「知」に置き換えるという作業がぼくのそれ以降のテーマになりました。

ぼくはもともと本が好きで、サイエンス系はもちろん、哲学や心理学や純文学も大好きでした。
どんなジャンルでも、自分の感性に合う、合わないというのが明確にありました。
作家別にいくつか列記すると・・・
ショーペンハウアー、ニーチェ、バタイユ、フーコー、サド、ヘンリー・ミラー、サミュエル・ベケット、カフカ、ドストエフスキー、モーリス・ブランショ、マンディアルグ、ボードレール、ジャン・ジュネ、アラン・ロブ・グリエ、夏目漱石、三島由紀夫、フロイト、ユング、岸田秀、アインシュタイン、カルロス・カスタネダ、ダンテス・ダイジ・・・

とにかく、「知に置き換える」というテーマに関係があるかないかというより、どちらかと言うと美意識にマッチするというか、生き様に共感できそうなものを選んで読んでいました。
そして、結果的にはそれらすべてが今の自分の世界観に影響しています。
ここ2年ぐらいで、ぼくはようやく自分のテーマについてほぼ語れるようになったのですが、結果的には過去の多くの読書が、直接的・間接的に役立っているのです。

いま、「人間と知の関係性や、世界の認識」ということでおすすめしたいのは、クリシュナムルティと「般若心経」です。
クリシュナムルティに比べれば、ニーチェでさえまだまだヒヨッコに過ぎないという感じがします。
結局、すべての根本は、「知る」とはどういうことか、ということなのです。
人間は「知る」ということを自明のことのように思っていますが、それがそもそもの間違いなのです。
「知る」ということがどういうことかが分かってくると、本質が見えてきます。

どーらんさん

2012/2/900:31:28

納富信留(のうとみのぶる)の「知の創発性――古代ギリシア哲学からの挑戦」や茂木健一郎「思考の補助線」等に基づいて私なりの考えを述べさせていただきます。

1、知の対象について。
「知っている/知らない」の対象となるのは、「知っている」状態が意識される問題。宇宙の彼方の星や人類が生まれる前の世界などは知ろうとしても不可能なので知の対象からは外れる。また知らないといっても、どこをどう知らないのか明示される必要がある。知らないとは、知っている状態の存在を前提として、その欠如の自覚により能動的に知へ向かおうとするからである。

2、知の本質
人間は生を受けてから死ぬまで学習の連続であるという点から一個の知的生命体であると思う。
知には絶対の基準はなく(なにをもって知の量を計るかができない)、従って権威はないものだと考えます。いくら百科全書的な知をめざそうとしても、今日本にいながら世界中の出来事を把握するのは不可能ですから、絶対知はありえないことになります。

3、「知」の形態
「知」の形態には3つあり、ひとつは「知」、それから「無知」と「不知」です。
「不知」は単に知らないということで、「無知」は知らないくせに知っていると思い込んでいる状態です。
この「無知」が一番危険な状態です。なぜなら自分で悪を招いてしまうからです。絶対知への希求という点からも知への怠惰とも取れます。
ソクラテスは、対話することによって「無知」を暴き「無知の知」を自覚させることで正しい知に向かわせようとしました。

4、知の希求への姿勢
先にこの世界の全事象を把握するのは困難(絶対知はない)と書きましたが、だからといって知の希求を諦めたりせず、少しでも絶対知に近づこうとする精神が重要です。
この世界には70億人が住んでいます。つまり、70億人ひとりひとりに見えている世界は異なるのです(それは国籍や性別、歴史などにもよる)。つまりそれほど世界は多様に存在しているのです。少ない知で多様な世界を見ようとしていては、独善に陥ってしまいます。「学びて思わざれば則ち殆し」です。
英単語ひとつを知ることも、相手の立場に立って物事を考えることも、それだけで世界の見方をひとつ手に入れたことと同じです。
また、相手との相対関係で自分を見つめ、自己批判していくことこそが知を愛する、哲学なのだと思います。(哲学は英語でフィロソフィーといいますが、古代ギリシア語でフィロは「愛」、ソフィアは「知」を意味します。古代ギリシアでは知を愛することこそが学問だったのです)

ban********さん

編集あり2012/2/823:58:06

何かを目的とするときは、本物の知にはなり得ないと思います。頭がいいと思われたいからとか、社会に貢献したいからとか、知らないと気後れするからとか…。なんというか、学ぶ姿勢にある種の「がめつさ」がある場合です。

本当は、「遊び」でないと人間の思考というのは自由に羽ばたかないと思うのです。

だから、興味のあることを追求するというやり方が一番深く進んでいけて、脳の眠っている部分を動かす。

本当に「身につく」とはこういうことではないでしょうか。自転車の練習のように。

sen********さん

2012/2/822:54:39

生き物の中で新しい知識を覚えたり(インプット)して喜ぶのは人間だけです 新しい知識を覚えてそれについてさまざな角度から思考する楽しみと知的好奇心と覚えたハウツー本の知識を使い(アウトプット)実用的にこなしていき人類は進化をしました

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