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浄土真宗では墓は 供養の為に立てるのでは無いと聞きました。 自分の為だと。 ...

rab********さん

2012/3/322:00:48

浄土真宗では墓は
供養の為に立てるのでは無いと聞きました。
自分の為だと。
また、仏法に出会うとかなんとか…

いまいち意味がわかりません。
どう理解すべきでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

ami********さん

2012/3/419:33:43

お墓については浄土真宗だからと言ってあまりこだわれる必要は無いように思います。釈尊の言い伝えでは、弟子には私の遺体には関わらず修行を続けよ、と言われたと伝わっています。また親鸞聖人も遺体は賀茂川の魚に・・・云々。など、本来は遺体にはあまり重点を置いていないからです。もちろんお骨も。ですから本来お骨は拝まないものという考え方もあります。浄土真宗の教えでは、自らの功徳として供養とはしない考え方もあるので、僧侶によってはいろいろ言う方がいるでしょうが。でも釈尊のお骨を納めたものが仏塔や日本の五重塔の起源になっていますし、本願寺も元々は寺院ではなく親鸞聖人の廟所、つまりお墓から発展したものです。それぞれの意志とは関係なく、遺体やお骨、そしてお墓は建てられていることもおおいのでしょう。自分のご両親や家族と言う方々のお骨を、やはり粗末にはできないと言った意味から、お墓を建てるのだと思います。そして自分自身のルーツとして、ある目印が必要なのでしょう。何かあったとき報告に行くとか、精神的な依り所とか。建てられるときは供養と思われるかもしれませんが、それがいつか先祖が見守ってくれている、そしてその流れが途切れない様にとの思いがあるのかも知れません。先祖の思い、それが結果として仏様の思いと受け取れるのかも知れませんね。そしていつか貴方の子孫がそのお墓にお参りし、貴方のことを思うときがくるのでしょう。しいてあげれば、その宗派によってお墓の祀り方が違うかも知れないと言うことです。意識するとしたなら、そこくらいではないでしょうか。

質問した人からのコメント

2012/3/4 21:45:52

降参 つまり、
自分の拠り所→自分のルーツを確認する場所
と理解すべきでしょうか?
先祖は大事だし
特別なのは実感としてわかります。
ただ、こちらから極楽で楽しんでるかな?は考えますが
見守られてる意識があまり実感出来ない自分は現代人の端くれかもしれません。

自分から→先祖
ではなく
先祖から→自分
を実感する場所って事てしょうか?
めんどくさくてすみません。

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yaf********さん

2012/3/409:24:32

仏教的な意味は、namu_amida_butuさんのおっしゃる通りです。
(ちょっと分かりづらいですけど)

要は、仏教ではお墓で拝んでいるのは故人でなく、仏様ですよってことです。

真宗門徒であっても墓前に参って阿弥陀様のことを考える方はまずいません。
普通は、故人のことを思い出し、その方のために手を合わせている気持ちになるはずです。
仏事も同様です。
阿弥陀様との縁に感謝するために、と法要をしている方はいないでしょう。
やはり故人のためと思って行っています。

ということで、
理屈では真宗に追善供養という概念は無いけれど、実質は追善供養のつもりでみなさんお墓に参っています。
民衆は何のために墓を建てるのか?
たんにお骨の置き場を得るためではありません。
本尊佛様を拝むためでもありません。
故人を想い、故人のために手を合わせる場所を求めているのです。

親鸞聖人が亡くなった時も、聖人は墓なんかイラネって遺言しましたが、弟子はお墓を建てました。
それが人間ってもんでしょう。

ですから、われわれ俗人としては、お墓は故人のため、供養のため、お墓参りは亡くなった家族に会いに行くもの、と思っていてかまわないと思います。

ただ、あなたは今回真宗の考え方を学びましたから、真宗の建墓は阿弥陀様への感謝のためなんだよなぁって、知識として覚えておきましょう。

nam********さん

編集あり2012/3/400:11:11

坊さん@浄土真宗です。

浄土真宗でお墓を建てることが供養のためであっても良いのです。
ただ、ここで用いる「供養」と言う用語の意味合いが「追善供養」と言う意味合いなのか「讃嘆供養」と言う意味合いなのかで異なります。追善供養と言う意味合いであれば『浄土真宗では「追善供養」のためにお墓を建てるのではない』ということになりますのでご質問のように「供養の為に建てるのでは無い」と言うことになります。
浄土真宗での供養とは仏恩報謝・仏徳讃嘆という「讃嘆供養」なのです。
「追善供養」という意味合いの供養は必要がありません。

例えば、山登りを成仏道に喩えた場合、崖を一人で登っている者(故人)には、定期的に遺族が「ガンバレ!ガンバレ!落ちるな!」と声をかけてあげないと落ちちゃいますよとでもなるでしょうから、遺族の「故人に対する追善という形」の供養が行われます。
一方、みんなで一緒に仏さまの運転するバスに乗せてもらって、あとは仏さまの運転にお任せしそのまま山を登る場合はどうでしょう?この場合には、この仏さまにいだき取られことに、仏さまのすくいに感謝するという行為が中心の供養が行われます。
ざっくりと乱暴に例えるなら上記の前者が「追善供養」で後者が「讃嘆供養」です。

浄土真宗の場合、お念仏をいただいたことにより仏さまのバスに乗る身に定まりそのバスに乗せてもらうので安心なのですが、かと言って何もしないのではないのです。
私たちの宗派・浄土真宗は「追善供養」はいたしませんが、今、お浄土で仏となられた方のお徳を偲び、故人もそしてこの私をもすくわんがためにはたらきつづけてくださる阿弥陀さまを褒め称え、仏徳讃嘆、ご恩報謝の営みとして讃嘆供養という形で仏事や法要を行うのです。つまり、浄土真宗においては追善供養ではなく、どこまでも知恩報徳であり、報恩の仏事なのです。その意味でその教えに私も出あわせていただくご縁として先にお浄土で仏となられ仏としてはたらいて私を照らしてくださる故人のお徳を偲ぶ意味でお墓を建てるのは浄土真宗的な讃嘆供養のために建てることであり、そのお墓を縁として私が仏法の縁に出あわせていただく訳ですから、私のためとか仏法に出あうためと表現されることがあるのです。
また、その意味で墓碑には○○家ではなく、「南無阿彌陀佛」という六字の名号(方便法身の尊号=ご本尊)や「倶会一処」というようなお経の言葉などが彫られていることが多いのです。
合掌

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