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今川義元は、寄親・寄子制度で四万五千もの兵力を動員できるようになったのですか?

dyw********さん

2012/3/821:18:12

今川義元は、寄親・寄子制度で四万五千もの兵力を動員できるようになったのですか?

コングロマリットのような体制を築いて、領国の支配を安定させて大きな兵力の動員ができるようになったのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

yai********さん

編集あり2012/3/1313:45:33

>>今川義元は、寄親・寄子制度で
>>四万五千もの兵力を動員できるようになったのですか?

「四万五千」は多すぎますが
当時、周辺大名と比較し破格の「2万」という兵数を出しています。

「検地」により可能になった「寄親、寄子」制度もその要素ではありますが
当時、多くの大名が「幕府」に支払っていた
「守護税」を廃止ししたのも大きい要素です。(守護使不入の廃止)

>>コングロマリットのような体制を築いて、領国の支配を安定させて
>>大きな兵力の動員ができるようになったのでしょうか?

「コングロマリット」の面もありますが「コンツェルン」の方が例えとして
近いかとも思います。

「戦国大名」を親とし、その下に「国人衆」がつき従い
大きな「国人衆」を譜代衆、小さな「国人衆」を外様とし
「親子関係(寄親寄子制)」を持つといった支配体系でした。

「検地」「寄親寄子制」「守護使不入の廃止」などで
「安定させて大きな兵力」を動員できるようになっています。

結果、支配地に「今川家」の「分国法」が制定されるほどの
支配を強めています。


また下記の回答者は誤解をしていますので訂正します。

●mokomkddrttさん
>>寄親寄子制度ってのが、優れてないから、徳川や織田にやられたのでしょ?

「織田家」も「徳川家」も「寄親寄子」制度を行っています。

>>寄親・寄子が優れた制度だって、主張している本とか著者はアホだは。

当時は先進した制度でした。

>>早い話し、下請け、孫請けで、忠誠心の低い家臣の集まりだから、
>>今川や武田はあっというまに崩壊したの。

何と比較しているのか解りませんが
「織田」も早々と崩壊しました。

確かに「毛利家」などの「傘型連判」などに比べれば
結束は弱いかもしれません。
しかし「与力」制度は「老中制度」などの導入で
確立されてゆきます。

あなたは「前提」を間違えた上で「推測」を重ね
結果「歴史事象」を見誤っているようです。

質問した人からのコメント

2012/3/13 22:19:11

ありがとうございます。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

mok********さん

2012/3/903:04:09

今川は、1万しかいないけどね。

寄親・寄子制度ってのが、優れてないから、徳川や織田にやられたのでしょ?

寄親・寄子が優れた制度だって、主張している本とか著者はアホだは。

早い話し、下請け、孫請けで、忠誠心の低い家臣の集まりだから、今川や武田はあっというまに崩壊したの。

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