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江戸時代の人口と米(稲作)の収穫量の推移を知りたいのですが、そのことについて...

jan********さん

2012/3/2316:16:01

江戸時代の人口と米(稲作)の収穫量の推移を知りたいのですが、そのことについて述べられている本、または資料があれば教えて下さい。

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ベストアンサーに選ばれた回答

ytj********さん

編集あり2012/3/2318:30:54

江戸時代の人口については、以下の速水融の論文で充分全体が掴めると思います。
http://202.231.40.34/jpub/pdf/js/IN0906.pdf

最近の本では、鬼頭宏『図説 人口で見る日本史―縄文時代から近未来社会まで』(2007年)、浜野潔『歴史人口学で読む江戸日本』(2011年)あたりがお勧めです。江戸時代初期には1200~1700万人程度の人口が、享保の頃には3000万人近くになり、以降幕末まで日本全体としてはほぼ3000万人の人口を維持し続けました。

一方米の生産高についてはもっと難しい問題をはらんでいます。江戸時代の石高なら菊地利夫『新田開発』(1986年)に掲載されていますが、慶長、正保、元禄郷帳は原則表高、天保郷帳は内高表記です。しかしながらこれらには米以外の課税対象作物の収穫分も含まれるし、またそもそも石高は見込み収穫なのである程度凶作となった場合の数字を基準にしてますし、各藩が幕府に正確な石高を伝えてない場合もたくさんあります。

天保郷帳によれば1830年頃の日本の総石高は内高約3000万石以上で、推定人口3000万人に対して1人1石前後となります。一方斎藤修『日本経済史における18-20世紀』(1998年)で引用されている中村哲『明治維新の基礎構造』(1968年)の研究によると、地租改正後の明治初期の農産物生産高から逆算して、1600年頃に2000万石、1700年頃に3000万石、天保の頃に4000万石などと推定しており、実際の石高は1000万石増し、1人1.3石となります。しかしながら郷帳の石高にせよ、推定石高にせよ、米以外の作物の金銭換算を加えており、地租改正後の明治10~12年の米の収穫高は年平均2500万石(この数字も明治時代の農民が地租改正による重税を防ぐため、過小申告しているという考えもありますが)ぐらいであったことからすると、やはり米は全員には行き渡らなかったことになります。

幕末の名目上の内高3000万石に対して税金として回収された収穫高は約1500万石で、これだと五公五民です。しかしながら明治維新時の実態としては、全農作物の米石換算生産高は5000万石近く、平均七公三民前後だったそうで、言われる程には江戸時代は重税ではなかった、かと言ってぎりぎりの生活をする地域も多かった、というのが実情のようです。

質問した人からのコメント

2012/3/23 19:55:01

詳しく教えて下さりありがとうございます。速水融の論文、とても参考になりました。
また、紹介して下さった本も、早速読んで見ようと思います。

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