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細川忠興が妻・玉(ガラシャ)に異常なまでの執着心を持っていたことは有名ですが…

cam********さん

2012/5/1122:44:58

細川忠興が妻・玉(ガラシャ)に異常なまでの執着心を持っていたことは有名ですが…

キリシタンとしての玉を悲劇のヒロインとするために忠興の数々の「異常エピソード」が付け加えられた可能性って考えられますか?

補足お二人ともありがとうございます!
細川忠興はやはり、苛烈なところのある武将だったようですね。勉強になりました。
迷うのでBAは投票にさせていただきます。

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ef2********さん

2012/5/1123:05:07

植木職人が玉子と会釈をしただけで首を跳ねたというのは、実話のようです。また、玉子が死んだのに、長男の嫁が死ななかったのには納得がいかなかったようで、庇った長男を廃嫡し、三男の細川忠利を嫡男にしています。長男は徳川幕府の方が不憫に思ったらしく、別途、領地を与えられていますね。長男の系統は現在も唯一、玉子の血筋を残す系統で、何年か前に亡くなった政治評論家の細川隆一郎氏がそうです。細川護煕元総理は、側室の系統なので、玉子の血は引いていません。本来、長男が廃嫡されたら、次男のはずですが、別の家に養子に行っていたとかで次男は、嫡男になれず、大阪冬の陣・夏の陣で大阪方につきます。で、陣後、忠興に免じて許されますが、忠興は次男を切腹させています。家臣も失敗が続いた者は容赦はしなっかたりしたようですが、晩年は丸くなり、「四角い重箱に、丸い蓋をするような心がけが大切」と、徳川秀忠に言っています。家臣にある程度の余裕を持たせる事が大事だと悟ったのでしょう。

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bir********さん

2012/5/1207:30:05

細川忠興は、策略が達人の武将だったそうです。
織田信長に丹後の征服を命じられて、細川は、
とうじ丹後の領主だった武家の御曹司に妹を
嫁に、やって忠興と丹後の領主は義兄弟になった。
細川は義弟を宴会に招待します。旨い物を食わせて
美酒を飲ませて美女を はべらせて、義弟が
酔って警戒心が無くなったスキに細川忠興は
丹後の領主で自分の義理の弟である男を
斬り殺し、これを合図に、前からシメシ合わせていた
細川の軍勢が丹後へ攻めて細川は合戦を
ほとんど、することなく征服したそうです。
ダマシうち の傑作のような この戦果に
織田信長も おおいに ホメたそうです。
玉子の父親の明智は、丹波を信長の命令で、
遠征しますが、長期の合戦で、やっとの
思いで征服しますが、玉子は、夫が妹のムコを
自分で殺してまで丹後を征服したので
複雑な内心だったでしょう。
植木屋の逸話のことは、たぶん、丹後での紛争で、
細川は恨まれていたから、忠興は、間者だと
思って斬ったのじゃないでしょうか、植木屋が
ノゾキしたり間男することは考えにくいので。
佐々木小次郎を剣術指南にするなど
細川忠興は、剣術に造詣ある武将で、自分で
立ち回る逸話も いくつか、あるし、
一説には、佐々木小次郎が横暴で藩で
もてあましていたので内密に武蔵を呼んで、
決闘に持ち込んで佐々木を討ってくれと
たのんだ、とも いいます。
宮本武蔵が年老いてから五輪書を書くまで
武蔵を保護したのは熊本の細川藩でした。

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