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竹島を松島と言っていたって本当?

miz********さん

2012/6/1512:06:04

竹島を松島と言っていたって本当?

現在の竹島を松島、欝稜島を竹島と言っていたの?

これ、本当なの?
なんかそんな面倒くさいことに何でなったの?

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ベストアンサーに選ばれた回答

kot********さん

編集あり2012/6/1912:37:23

歴史を振り返ると、様々な判断ミスがあり、名前が逆になりました。

朝鮮半島(本土)と日本(隠岐の島)との間には2つの島があります。
江戸時代には、朝鮮半島(本土)に近く大きな島Aを「竹島」や「磯竹島」
と呼んでおり、朝鮮では「鬱陵島」といっていました。

そこから87km東に小さな島Bがあり、日本では「松島」と呼んでいました。
(その時点で韓国名はありませんでした)

1787年、フランスの航海家ラ・ペルーズは島Aに渡り、「ダジュレー(Dagelet)島」
と名付け、1789年イギリスの探検家コルネットも島Aに渡り、
「アルゴノート(Argonaut)島」と名付けました。
しかし、このときの測量精度に問題があり、島Aが2つの島と
して認識され、ヨーロッパの地図に2つとも記されてしまいました。
1840年シーボルトは、島Aと島Bの存在を日本の情報から、
知り、これが「アルゴノート(Argonaut)島」と「ダジュレー(Dagelet)島」
だと思い込んでしまいました。彼は、 「アルゴノート島」を「タカシマ(竹島)」、
「ダジュレー島」を「マツシマ(松島)」と名付け ました。
ここで島名の混乱が起きました。島Aは、同一であるにも関わらず、松島であり、
竹島でもあることになりました。

1880(明治13)年になり、日本政府現地調査を行い、政府は「松島」と
呼んでいる 島Aが、朝鮮でいう「鬱陵島」と同じ島であることに気づきました。

そこで、島Bをどのように名づけるかが問題となりました。
検討を重ねた結果、1905(明治38)年になり、明治政府は、
島Aを松島、島Bを竹島とし、島名を入れ替えることを決定しました。

これで、江戸時代とは逆の配置になってしまったわけです。

1905(明治38)年時点で、島Bを竹島でなく、まったく別の名前に
しておけば、問題は複雑にならず、
領土問題も起きなかった可能性があります。

島名が逆転したことが、様々な誤解を生んだのかもしれません。

なお、1905年(明治38年)1月28日に、明治政府は、
島Bを「竹島」にすると同時に、日本領土と決定しました。

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