ここから本文です

律令制の官職に詳しい方。 戦国時代、石田三成は治部少輔の官職をもらい、通称...

miz********さん

2012/7/2323:18:11

律令制の官職に詳しい方。
戦国時代、石田三成は治部少輔の官職をもらい、通称「じぶしょう」と呼ばれる。
このあたりは、小説や劇画花の慶次にも出ており、その場合の漢字表記は「治部少」となっている。
京都市伏見区桃山にも「治部少丸」という町名がある。
ここで疑問ですが、古語辞典、歴史解説書などには、「治部少輔」と記して「じぶしょうゆう」もしくは「じぶしょう」と読むとある。
このことからして、小説、劇画、はたまた町名まで、漢字表記が「治部少」であっているのだろうか。「治部少輔」と書いて「じぶしょう」と読むのならば、発音は「じぶしょう」でも、漢字表記は「治部少輔」でなければならないのでは?
「治部大輔」を「じぶだい」などと略して呼称しないのと同じく、「治部少」などと官名の途中で切って略すなど有り得たのだろうか。
どうもこれがひっかかり、本来、発音は「じぶしょう」だが、表記は「治部少輔」と書かねばならないのをだれかが勘違いして「治部少」の表記になってしまったという思いがぬぐい去れない。いかがですかな。

閲覧数:
1,754
回答数:
1

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

大阪府民さん

2012/7/2717:40:39

石田三成の官職としての「治部少輔(じぶのしょうゆう→じぶのしょう)」、今川義元が持っていた「治部大輔(じぶのたいゆう→じぶのたゆう)」。

確かに正式には上記が正しい表記ですが、当時の武家や豊臣家の女﨟(高台院の腹心、孝蔵主など)が発した書簡(消息)には石田「治部」とか、「治少」などと省略形で書かれています。
公式文書であれば正式表記が必要でしょうが、書簡など私文書では意味が通れば、何でもありでした。

なお、現代の小説などが「治部少」とするのは、作者による省略と見るか、誤記と見るかは意見が分かれると思います。

また、伏見区の地名ですが、ここは豊臣家の伏見城時代は治部少輔曲輪があったところ。
江戸時代初期に伏見城が廃城された後は城跡周辺が桃畑として開墾された為に一帯が桃山と呼ばれ、昭和6年に京都市に編入されるまでは紀伊郡堀内村桃山「字」治部少丸、京都市編入後に現在の町名となります。
徳川による伏見城再建(関ケ原の合戦後)の時点以後に、官職名とは全く切り離して、治部少輔曲輪の縄張り名からの省略で、現在名になったと見られています。

ちなみに石田三成の屋敷地跡は丹波橋駅西方の治部町(明治22年までは景勝村治部(景勝村の地名も上杉景勝屋敷地に因む))として地名が残っており、これまた治部少輔の官職名から見るとから省略されています。

質問した人からのコメント

2012/7/30 11:09:06

ありがとうございました。
>現代の小説などが「治部少」とするのは、作者による省略と見るか、誤記と見るかは意見が分かれると思います。
なるほど。歴史小説は作者によって、歴史の検証をしていても、詳しい部分と詳しくない部分があり、結構、間違っているのでは?というところがある場合も見受けられますね。

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる