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歴史新聞について

mom********さん

2012/8/1520:03:23

歴史新聞について

夏休みの宿題で歴史新聞がでました。
出来事ではなく 人物一人に焦点をあてる、戦国大名であること(また戦国大名が活躍した時代の文化人=千利休など)

まぁみんな、武田か上杉か織田か豊富か徳川、バサラオタさんは政宗とか幸村とか長宗我部さんとか多いです。

あんまかぶるの嫌だから、そこそこ名の知れてて、かぶらなさそうな人いませんか?
後できれば書きやすそうな人がいいです。○○の戦いでこんな面白い戦法したよとかそういう人。
裏エピソードもあるといいです。

文化人でもいいんですが、書きやすいかな……
戦国大名との面白い関わり、裏話がある人いませんかね。
(千利休は落ち着いた書院造での落ち着いたお茶だけど、秀吉は黄金の茶室とかで2人は気があわなくて千利休が切腹を命じられたとか)

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ran********さん

2012/8/1702:53:42

戦国の美談新聞として【清水宗治】はどうでしょう。
清水宗治は毛利軍の一翼を担う高松城城主で、天下統一戦線を進める織田信長配下の秀吉軍と徹底抗戦していました。秀吉は宗治に対して備中国を与える等の好条件を提示し、降伏を促しましたが宗治は突っぱねました。籠城を続ける宗治でしたが、かの有名な秀吉軍による水攻め戦術により、高松城の殆んどが水没し、絶対絶命に追い込まれました。宗治はついに覚悟を決め、城兵の助命を条件に切腹する事になりました。宗治は水没した高松城に舟を漕ぎ出し、ひとさし舞った後に腹を切りました。


この清水宗治の話には、2つの裏話が有ります。1つは切腹に関してです。
戦国時代以前の武士道において、切腹の作法は確立していませんでした。切腹の例はいくつもありましたが、単なる自殺の手段のひとつでした。無念のあまり行う「無念腹」のように、内蔵を引きずり出すなど、その凄惨ぶりを披露する場合もありました。また、戦において捕らえられた高い身分の武士も、大抵は首を刎ねるのが普通であり、切腹させるといった習慣は無かった。場合によっては磔にする事もありました。切腹の作法が変化する転機となったのは、この清水宗治の切腹からで、水上に舟を漕ぎ出し、そして切腹の前にひとさし舞ったのち、潔く腹を切り、介錯人に首を刎ねられた清水宗治の作法は見事であるとして、それを実際に見た武士達の賞賛を受けた。秀吉は信長の敵討ちのために一刻も早く京へと戻りたいところであったが、「名将・清水宗治の最期を見届けるまでは」と陣から一歩も動かなかったといわれている。また、後に小早川隆景に会った秀吉は「宗治は武士の鑑であった」と絶賛した。これ以降、武士にとって切腹は名誉ある死という認識が広まり、また刑罰としても切腹を命じる習慣が広まった。後に秀吉は、豊臣秀次、千利休らを処罰するにあたって、切腹を命じている。

もう1つは、この清水宗治と秀吉の戦いが、その後の秀吉の天下取りのキッカケの出来事であり、重要なファクターだった事です。実は宗治が切腹すると決めた頃、すでに敵軍大将・織田信長は本能寺にて横死していました。宗治がもう少し、籠城を粘れば、この情報を知った可能性もあり、この情報を知り得たならば、宗治は絶対に降伏+切腹もしなかったはずであり、宗治が降伏しなければ、秀吉は中国大返しを成功させる事も出来ず、畿内を明智光秀に占拠され、天下取りへの道を断たれた可能性も含む出来事でした。


ちなみにで恐縮ですが…質問者さんの質問文にある---千利休は落ち着いた書院造での落ち着いたお茶だけど、秀吉は黄金の茶室とかで2人は気があわなくて千利休が切腹を命じられたとか---ですが、この様な事実は憶測でしかありません。宜しければ、下記サイトを参考にして下さい。

【前編】
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n3434

【後編】
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n4240

戦国の美談新聞として【清水宗治】はどうでしょう。...

質問した人からのコメント

2012/8/17 13:55:23

ありがとうございました。
千利休の件は指摘ありがとうございました。

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kaw********さん

2012/8/1610:28:56

織田家家臣・森長可。通称、鬼武蔵。

信長とともに本能寺で討死した森蘭丸の兄です。
人間の体に骨が無いのかと錯覚するぐらいの切れ味をほこる槍、『人間無骨』をひっさげ、戦国の世を太ぉく短く縦横無尽かつワガママに駆け抜けたまさに戦国武将です。

簡単に説明しますと、最初の戦で川の向かい側にいる敵陣に舟一艘、たった一人で乗り込み27人討ち取った。

信長様の命令で橋や関所が通行止めになっているのに、無理矢理通ろうとして役人に止められると殺して川に投げこみ、門を燃やす。
信長にばれても『鬼武蔵ならしかたない。』と、なぜか無罪放免。

信長が死んだため、長野県から岐阜県に逃げ帰るとき、長野県の新しく部下にしていた武将が裏切りました。人質を取っていたため安全な場所まで無事に着いたら返してやるよと約束しました。しかし、安全な場所までたどり着いたら人質を殺して返しました。

まさにリアル戦国無双です。
さらに詳しく調べるなら、『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ 森長可』で検索してみて下さい。
確実に他のクラスメイトとは切り口・視点が違う斬新な、かつゲームやアニメに影響されない硬派な歴史新聞が出きるでしょう。

ただし、あまりにも逸話が人間離れしているため先生が知らない、または信用されないかも知れません。
ちゃんとどうやって調べたとか説明できるようにしたほうが無難です。

参考までに私が学生の時は地元の学校の裏に城を構えていた、ネット検索してもかすりもしない武将を取り上げ、結構いい点数を頂きました。

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