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悟りはきついものですか?

kam********さん

2012/8/2109:12:10

悟りはきついものですか?

お釈迦様はどうして悟りを得る事ができたのでしょうか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1292646897

①徹底的な自己否定、つまり、自我や超自我を克服しないといけません。これは自殺に等しい苦しみです。
②思考停止
それからあとに、梵我一如の絶対的体験がある・・・。
その体験は、個的なものですが、どうやら普遍性があるようですね。

_______________

自分を知るということは、我欲があってはいけない
自分自身であるということから離れるからでしょうが
やはり、きついものなんでしょうかね?

死ぬほどきついのなら
写真屋さんがおっしゃるとおり、自分の好きなことを
徹底してやるほうが簡単だし、現実には有効ですよね

そもそもこの世は苦であるとブッダが四苦八苦で説いていますよね
涅槃寂静はあるともいいますが


前世がないのなら、この世でお金があって働かないで
女の子と遊んだり、遊びまくって生きれたら最高ではないでしょうかね?

欲が少ないのは本当に幸せなのかな?

補足悟った人にお会いしたことはありますか?

何をもって悟ったと言えばいいんでしょうかね?
涅槃寂静 苦がない状態でしょうか?

この質問は、nak********さんに回答をリクエストしました。

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ベストアンサーに選ばれた回答

nak********さん

リクエストマッチ

編集あり2012/8/2520:21:26

自己否定なんか、そう簡単にできるもんじゃないですよ。自尊心、自己愛の否定ですから。
ただ、自分の好きなことを・・・も、そう簡単じゃない。オリンピックの選手をみてりゃ判るでしょ。金メダル候補でありながら一回戦敗退とか、失格とか・・・。オリンピックを目標にして、結局出場すらできない選手なんかいっぱいいますからね。

遊びまくって生きれたら最高・・・。どうかな。空しい生き方をして、それでホントに幸せかどうか。
少欲が幸せだとまでは言わないけれど、楽チンであることは確かだな。

追記;
悟った人かどうか、よくわからんのです。
ただね。ネパールから帰国した直後、とあるパーティーで、一人の男性の周囲に後光が見えた・・・。会場には200人くらいはいたかな、その中のたった一人だけ。
「あれ、誰?」
「板前さんだよ、知らないの?」
「紹介してよ・・・」

後日、お会いする機会がありました。
ずらりと並んだお茶碗を見てたら、気になるものが二つだけ・・・。
それをひょいっと手渡してくれた。
「どう?」と仰るから
「怖いからお返しします」と答えたら、もう一個の方も渡してくれた。
「やっぱり最初の方がすごいと思います。茶碗の良し悪しは判りませんが、こんなお茶碗、持ったことがないです」
「当たり前だよ・・・^^」
「ナンボしたの?」とは聞けませんでした。多分、私はその時、彼の試験に合格したんでしょ。ナンボか聞いてたら失格だったと思います。
で、おでんを作ってくださった。大根が、大根の味がした。なるほどね~。

悟った人って、自分が悟ってるなんて言わないと思うよ。言ったところで誰にも理解できんから。
だからもしかしたら、その辺にいっぱいいてるのかもしれんな、と思うだけです。
もう後光は見えません。心の声も聞こえてきません。私は薄汚れちまったんだと思います。

質問した人からのコメント

2012/8/27 10:10:23

fairytale_truth_hello1さん の回答も参考になりました
ありがとうございました

ベストアンサー以外の回答

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ID非公開さん

編集あり2012/8/2221:17:15

ブッダは、あなたの理想・美人奴隷に囲まれて暮らしていました。が、29歳で、老病死の三苦を認識したとき、「在家者にとっての最高の地位・一国の皇太子としての地位」だけでなく、妻子のすべてを捨てて出家しました。
あなたを含めごく少数の人間は逃れることのできるハルマゲドンと比べればよく分かります。が、ブッダがその課題とした老病死の三苦。特に老いと死。究極的な死とは、全ての人に訪れ、誰も逃れる術がないという意味で、「人間の最大の恐怖」なのです。

「ブッダの出家した年齢・30歳以上の人間」で、この恐怖に襲われていない人間は存在しません。が、この恐怖を否定する理由は、恐ろしすぎて、全力で忘れようとし、それに成功しているか。カマトトかのいずれかです。

具体的には、下記・恐怖です。
「諸のつくられた事物は実に無常である。生じ滅びる性質のものである。それらは生じては滅びるからである。それらの静まるのが安楽である。
何の喜びがあろうか。何の歓びがあろうか?――(世間は)このように燃え立っているのに。汝らは暗黒に陥っていて、燈明を求めようとしない。
あちこちの方角に投げ捨てられまき散らされたこの鳩色のような白い骨を見ては、この世になんの快さがあろうか?
夜の初分のあいだ母体に入って住みつく人は、安らかにとどまること無く、(迷いのうちに)還っていく。――去って、もはや還って来ない。
朝には多くの人々を見かけるが、夕べには或る人々のすがたが見られない。夕べには多くの人々を見かけるが、朝には或る人々のすがたが見られない。
「わたしは若い」と思っていても、死すべきはずの人間は、誰が(自分の)生命をあてにしていてよいだろうか? 若い人々でも死んでいくのだ。男でも女でも、次から次へと――。
或る者どもは母体の中で滅びてしまう。或る者どもは産婦の家で死んでしまう。また或る者どもは這い回っているうちに、ある者どもは駆け回っているうちに死んでしまう。
熟した果実がいつも落ちるおそれがあるように、生まれた人はいつでも死ぬ恐れがある。
陶工のつくった土器のように、人の命もすべて終には壊れてしまう。
糸を繰ってひろげて、いかなる織物を織りなそうとも、織る材料が(糸巻き)が残り僅かになってしまうように、人の命も同様である。
死刑囚が一歩一歩と歩んで行って、刑場におもむくように、人の命も同様である。
……
牛飼いが棒をもって牛どもを駆り立てて牧場に到着させるように、老いと死とは諸の病をもって人々の寿命を終わらせる。昼夜は過ぎ行き、生命はそこなわれ、人間の寿命は尽きる。――小川の水のように。
眠れない人には夜は長く、疲れた人には一里の道は長い。正しい真理を知らない愚かな者にとっては、生死の道のりは長い(中村元訳・岩波文庫・「真理のことば・感興ことば」)」

mjo********さん

編集あり2012/8/2523:11:02

きつくはないですよ。
きついとすれば、悟りを開く遙か手前の「自己否定」です。
しかし、それくらいの苦しみは、誰しも経験があるかと思います。
つまり、「悟り=きつい」ということではありません。

自我や超自我は、正確な表現ではないので、私は使いません。

きつくはないですが、悟りなんか開かないほうが楽です。
欲は、意欲に繋がります。意欲は、あったほうが楽に生きられます。
充実した人生を送りたいならば、欲を捨てるべきではありません。

悟りと前世は、なんの関係もありません。
自分が最高だと思える生き方をしてください。

>欲が少ないのは本当に幸せなのかな?

必ずしも幸せとは言えない。というような言い方しか出来ません。

【補足について】
>悟った人にお会いしたことはありますか?

ありません。
自称「悟った」人は沢山いますが、殆どが偽物でした。
エックハルト・トール氏は、悟っている可能性があります。

>何をもって悟ったと言えばいいんでしょうかね?

悟れば、誰に教えられなくとも理解します。
悟らなければ、教えられても理解できないでしょう。

苦はあります。軽減されますが。

人の認識は実に曖昧です。
日常的に使っている言葉でさえ、曖昧にしか認識していません。
(認識が)曖昧だからこそ感じていた苦しみは、確かに消えます。
簡単に言ってしまえば、ストレスが少ない状態になります。

しかし、すべての苦しみが消えるわけではありません。
それが目的でもありません。

“結果”に縛られているうちは、悟りを開くことは出来ません。

shi********さん

編集あり2012/8/2110:53:05

悟り?輪廻?転生?前世?釈迦が戦ったバラモン教、ウッパニシャド哲学、の邪教の邪儀であることは歴史的な事実ですが?
プチオカルトで悟りを得た?などと吐いた者どもが何を仕出かしたか?調べてください、即ち、蓮華往生、血盟団団事件、牧口常三郎、不敬罪検挙、日本人を裏切る悪行の数々を調べてください。

法華経すら釈迦の死後1000年以上経ってからの紛い物であり、出来の悪い釈迦の弟子、既得権益を優先させて、信者を釈迦の説いた教えから無知にさせて、己に都合よくどうにでも解釈できる悪意はあるが、意味の無い文字列を書き加えたのが一遍の曇りのない真実ではありませんか?己の知力を使い日本人として真摯に謙って、仏教のジェネシスを調べてみる事をお勧めします。

fai********さん

編集あり2012/8/2111:03:56

だから、「秘密の奥義」は、普通の人に教えちゃいけないことになってますよ。

先ず前提に、執着する事から離れてると言う事です。
「女の子と遊んだり、遊びまくって生きれたら最高ではないでしょうかね?」=性欲を満たしても、意味がないのだとすると、それ自体も欲しなくなるはずですよ。

セックス自体も、セックス三昧行為にいたると、どうでしょう?きっと興味がなくなるでしょ。試してみればいいと思うけど、そだな一日、1万人の女とやらなきゃいけないとすると、女を見るのも嫌になるでしょうね。
そういう状況になる前に普通はセックスを拒否します。ですが、セックスを毎日1万人とやりとおす事ができれば、悟れるぞ。と言われてもやはり体力が続かないのです。したがって、欲が多くても、悟れないでしょ。
楽が苦に変わるとはこういうことでしょうね。

全てのものを欲しいと思わないのだから、普通に生活できる事の幸せと言うのも理解できると言う事です。

逆におしゃかさんの場合は、釈迦族の王になれた人間なのだから、王になって欲望の限りをつくしてもよいということになりますが、永遠にその生活が続くと、果たしていみがあるのかという疑問がのこったと思われますね。

状況立場考え方で、ほしいもの(欲望)は、かわるでしょ。

jih********さん

2012/8/2109:29:45

悟るまでは煩悩との戦いでしんどいですが、悟ってしまうととっても楽で爽快です。

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