紀伊半島と房総半島の先にはそれぞれ「白浜」・「勝浦」という地名があります。 この共通性はたまたまですか? それとも何か同じ名前を使う事になった由縁があるのでしょうか?

紀伊半島と房総半島の先にはそれぞれ「白浜」・「勝浦」という地名があります。 この共通性はたまたまですか? それとも何か同じ名前を使う事になった由縁があるのでしょうか?

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一説によれば紀州和歌山県の鯛釣り漁師が黒潮に乗って真鯛を釣りながら北上しいすみ市(旧大原町)沖に好漁場があったことから定住したそうです。 そして、九十九里から南房総まで釣りながら往復している時、故郷の南紀白良浜(しらはま)や勝浦によく似た風景に出会い、懐かしさから白浜とか勝浦の地名を付けたというのが定説となっており容易に想像できます。 大原港の真鯛釣りは有名ですが、その代表的な釣り方に「紀州びしま釣り」があり現在でも行われています。 また、漁師には先祖が紀州出身という方もたくさんおられ、真鯛を釣らせるのが上手という遊漁船はほとんどがこうした紀州漁師の子孫です。 千葉県と和歌山県の繋がりは「醤油」も同様で、銚子のヤマサ醤油は1600年代に紀州から移り住んだ人がはじめたもので「大新」など老舗旅館にも先祖が紀州出身というものが多々あります。 徳島県勝浦町との繋がりですが「勝浦ビッグひなまつり」は徳島県勝浦町のひなまつりを模して徳島県勝浦町から贈られた雛人形を飾ったのが始まりです。 南房総を「安房の国」と呼ぶのも徳島県の「阿波」と密接な繋がりがあります。 平安時代の「古語拾遺」という書物に朝廷の儀式を司っていた斎部氏が阿波(徳島県)に移住し、その一部が肥沃な土地を求めて南房総布良(現館山市布良)の海岸に上陸したことが「阿波」⇒「安房」の語源と書かれているようですすので徳島県勝浦町の影響も多分に受けていると考えられます。 また、この他にも共通した地名はたくさんありますので、紀州や阿波から移り住んだ人たちが故郷を懐かしんで新しい集落に名付けたのではないかと思います。 御宿町網代湾(和歌山県由良町網代湾)、いすみ市岩船(栗栖川村石船)、南房総市和田花園(花園村・日高町和田 )、館山市布良(田辺市目良)等々です。 そんなことが縁で1市2町は「全国勝浦ネットワーク」により友好都市となり観光客の誘致や共通イベントの開催などに力を入れています。 北総銚子から南房館山にかけて使われている方言や漁師言葉には紀州和歌山県や阿波徳島県と共通するものがたくさんあるのはこうした繋がりがあったからなんですね。 現在も房総には「白浜屋」「尾鷲どん」「紀の国屋」「紀州屋」「阿波屋」「安波屋」などの屋号とともに、両県に多い名字が千葉県の海岸地方にも共通しているといった特徴があります。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

お二方、ご回答ありがとうございます。 大昔に紀州から黒潮に乗って房総まで北上した猟師たちは、潮の流れが強くて帰るに帰れなくなったんでしょうかね。 それとも訳ありだったんでしょうか? 徳島と房総の関係も興味深かったです。

お礼日時:2012/8/26 8:47

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「勝浦」に関しては、地名の由来には諸説あり、天富命を祀っている遠見岬神社を建立した阿波忌部氏の勝占(かつら)の名が由来となった説や、和歌山・徳島から黒潮に乗ってやってきた人たちに由来するという説があります。 私は両方だと思ってます。 なぜなら、徳島には勝占町という町もあるからです。 白浜については、房総のほうが名前の期限が早いようで、史料では平安時代からその名があります。 一方、紀伊の白浜は、大正からで、白良浜が由来のようです。 こちらは、たまたま一致しただけのようです。

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