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何度かの元寇で日本に攻めてきてます、神風で船が沈んだは今でも日本人の心に焼き...

ite********さん

2012/9/2911:06:24

何度かの元寇で日本に攻めてきてます、神風で船が沈んだは今でも日本人の心に焼きついていますが、実際の戦闘でどういう状況だったのでしょうか。

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ベストアンサーに選ばれた回答

yas********さん

2012/9/2912:58:31

最近の研究では、元寇はモンゴル人が主体ではなく征服された
朝鮮や中国の人々が戦力の中心であったことがわかってきました。

大将などの指揮系統はモンゴル人ですが、実戦部隊は中国や
朝鮮の人々だったということです。そのため、戦闘に対する気力に
乏しく、嫌々ながら戦闘している状況でした。

ただ、大陸的な戦闘法である集団で戦う方法や見たことがない
新兵器のてつはう(爆弾)や毒矢などにはかなり苦戦したようです。

大陸軍は、夜の暗闇での奇襲攻撃を恐れ、夜になると全軍 船に
戻っていました。それを神風と呼ばれる暴風雨が襲ったというわけです。

普通の暴風雨なら船の沈没などないのですが、、船自体が中国や
朝鮮の人々が命令されて嫌々ながら作った粗雑なものでした。その
おかげで日本は勝つことができたというわけです。

質問した人からのコメント

2012/9/30 12:48:12

ありがとうございました。
元寇で南宋の人たちの人たちの移民地にすると聞いたことが有ります。

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joh********さん

2012/9/2912:01:50

神風=嵐というのも元寇に影響を与えていますが、一番の日本の勝因は当時のモンゴル人の戦法が大きく関わっています。その戦法というのは、1人が何頭もの馬を引き連れて常に乗換て戦場で戦うものでした。しかし島国の日本に攻めるためには、当たり前ですが船で来るしかありません。食糧や兵士、武器なども運ぶため連れて行ける馬は限られてしまい日本での戦いでは、本来の力が出せなかったのだと思います。また余談ですが、この敗因を改めた元は馬を運ぶための巨大な船を造っていたそうです。その最中に、元は滅ぼされてしまったらしいのですが...。もしかしたら第三次の蒙古襲来があったのかもしれません。

chi********さん

2012/9/2911:11:15

一回目は、実際、日本軍がおされていて、夜になるからと元軍が船に戻ったときに嵐がきて沈んだのと、二回目は撤退しようとしたところに嵐が来たといわれています。どっち道ドンマイです(・ω・`*)

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