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町方同心は御家人ですが、もともとはどのような人達がなったの? 江戸幕府開幕以...

tmb********さん

2012/11/1118:45:50

町方同心は御家人ですが、もともとはどのような人達がなったの?
江戸幕府開幕以前は普通に徳川や若しくは譜代大名の家来かなんかだった?
それとも八王子千人同心のように主家滅亡後徳川の軍

門に下って召し抱えられた人?

また格好も実際はどうだったの?
刀は一本差? 月代は広々剃っていたって? 捕り物のときは刃引きの長脇差だったって?

幕末のおかっびきの写真は見たことあるけと、同心のはないのかな?

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haz********さん

2012/11/1121:04:01

大坂の場合は与力は御家人を江戸から連れて行ったようですが、同心は現地採用だったようです。
江戸の場合がどうなっているかがよくわかりません。ただ、草分与力の一人の原氏は千葉一族で下総手賀の郷士。こちらも与力ですが、仁杉氏は後北条氏の家臣の子孫でひ孫の代に御先手組与力からの転身でした。
同心は与力より軽輩ですので、大阪と同じように現地採用だった可能性もあるのかな。同心の御子孫どこかにいないかな。

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ベストアンサー以外の回答

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yuj********さん

2012/11/1119:36:52

御家人の中でももっとも位の低い人たちが同心になりました。
装束や髪型に関しては、映画やドラマで確認されるとよろしいでしょう。

goh********さん

2012/11/1122:39:29

町奉行所同心は御家人でも下級の足軽でした。身分は、お抱え席と言い、三十俵二人扶持の俸給が支給されていました。永年勤続や手柄によって百俵まで増俸され、さらに与力に昇進できましたが、身分は一代限りで毎年大晦日の夜に年番方与力の役宅で「長年申し付くる事」と申し渡され、親が引退すれば息子が新規採用の形式で受け継ぎました。町奉行所同心は形式的には一代限りの役職で筆記試験や面接で農工商などからも採用されていたようです。
添付の画像は幕末の頃の捕物出役の時の写真で右から槍持ち、与力、同心二人の規定での服装の写真ですが時代劇や演劇などの服装とは全く違っています。

町奉行所同心は御家人でも下級の足軽でした。身分は、お抱え席と言い、三十俵二人扶持の俸給が支給されていました。永年勤...

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