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薩摩が琉球との関係を隠そうとしていたというのは何故ですか?

sno********さん

2012/11/2510:00:22

薩摩が琉球との関係を隠そうとしていたというのは何故ですか?

琉球史について少し調べているのですが、
薩摩による琉球侵攻の際に琉球は明朝に援軍を送ってくれるようにお願いしていたり
薩摩が琉球を通して中国と貿易しようとしていたとき、
中国側からは
「琉球は今までの二年に一回の進貢ではなく十年に一回でいいです。薩摩と闘って疲弊しているでしょうから」ということを(本当は日本、薩摩に攻められることをおそれたからのようですが)伝えてきたりしています。
中国も琉球に薩摩がやってきたことは知っていたということですよね。

でも、その後(少なくとも清朝と琉球という関係で)は
琉球に日本人が来ていたり、そこで彼らが力を持っていたということを薩摩は隠そうとしていますし
中国のほうはそこまで貿易に影響はないし、見てみぬフリをしていたらしいということが本に書いてありました。

薩摩がやって来たことは「みんなの知る事実」だった感じなのに
その後になってわざわざ隠そうとするのはどうしてでしょうか?

みんなが知っているのですから、
いまさら隠そうとしても琉球と中国が冊封体制をやめることになる可能性だってあったはずです。

明朝が知っていたことを次の王朝は知らなかったということでしょうか?

ややこしいのですが
分かりやすく教えてくださると助かります。

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ベストアンサーに選ばれた回答

dhd********さん

2012/11/2514:14:20

薩摩サイドにも、清朝サイドにも、「お互いに見て見ぬ振りをする」ことが、最もメリットのあることだったためです。

薩摩サイドが琉球支配を行った最大の狙いは、「貿易の利益」です。
しかし、室町時代頃は、琉球はアジア一円の中継貿易で大いに栄えましたが、江戸時代になると欧州勢の進出で、琉球は勢いがなくなります。
そのような状況下、琉球が確実に大きな利益を上げれるのが、清朝への朝貢貿易でした。
したがって、薩摩としては、琉球と清朝の朝貢貿易がおかしくなる事態だけは絶対に回避したかったんです。

一方、清朝にも、中国歴代王朝にもあった「華夷思想」を当然に持っていましたので、清朝のメンツの為には、一つでも多くの朝貢国が欲しいという姿勢でした。
また、中国はここ数年の動きと異なり、元々海に関心の薄い国家でしたので、琉球については、事をあらたげて戦争で薩摩を駆逐して、琉球を直接支配するよりも、影に薩摩がいても朝貢を続けてくるのであれば、見ない振りをしておこうと考えた結果です。

このように、双方のメリットになるように意識した結果が、双方共に事をあらたげないということだったんです。

質問した人からのコメント

2012/12/1 14:01:31

成功 詳しい回答ありがとうございました!

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