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田中義一内閣はなぜ、積極外交を行ったのですか? 高校日本史の範囲内で回答お願...

mim********さん

2012/12/222:44:15

田中義一内閣はなぜ、積極外交を行ったのですか?
高校日本史の範囲内で回答お願いします。

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ベストアンサーに選ばれた回答

jsd********さん

編集あり2012/12/307:41:36

田中義一は元々陸軍の軍人でした。日露戦争でも活躍した情報将校です。
故に彼は自分が中国通であると思っています。
そこで考えたのが、鉄道による満州支配です。
つまり満州鉄道会社(満鉄と略します)により、中国東北部を経済的に支配下に置こうと考えたのです。
このため、武力を背景に極めて強圧的な外交政策を進めます。
これは、実際には武力に訴える事なく、実利を得ようとする、極めて理想的な支配の仕方ですが、直接的な支配を考える陸軍の現地軍(関東軍といいます)が柳条湖事件を起こして、武力による満州占領を企てた事を処罰することに失敗して、昭和天皇のお怒りを買います。
結果内閣は総辞職となりました。

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ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

lai********さん

2012/12/308:45:09

isdfbuddyさん、「柳条湖事件」ではなく「張作霖爆殺事件」の間違いですよ。当時は「満洲某重大事件」と呼ばれていました。田中義一内閣の対支強硬路線は、それ以前の幣原外交への反省から生じたものです。幣原外相の対支協調外交は、一般には戦前に於ける平和外交として評価が高いのですが、反面日本のこうした態度が「弱腰」と見られ、シナの反日運動を激化されたという負の側面があります。当時のシナは「革命外交」と称し、清朝時代に外国と締結した不平等条約をすべて無効にすると宣言していました。それにより反日侮日活動が活発化し、また北伐などシナ国内の内戦も、日露戦争で獲得した満洲権益への脅威となっていました。田中内閣の行った山東出兵にはこうした背景があります。こうした危機感は満洲権益を守る関東軍も共有し、次第に反日的になる張作霖を爆殺するという暴挙に発展してしまいます。そしてこれが結局、昭和20年の敗戦への始まりとなってしまうのです。

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