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芸者さんはなぜ、「音吉」や「染太郎」などの男の名前を付けているのですか?

ginzanomariaさん

2012/12/2522:00:32

芸者さんはなぜ、「音吉」や「染太郎」などの男の名前を付けているのですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

2012/12/2611:52:13

江戸時代の性風俗業者の法の網目くぐりの名残だと思います。
最初のご回答者と一部重複する処もございますが、江戸時代は身分制度があり人権軽視がありましたが、幕府は奴隷制と婦女子の人身売買は禁止事項です。しかし古今、そして洋の東西を問わず、必要悪に等しい売春制度があります。江戸時代でも同じです。法の網目をくぐる方法は幾つかあったと思いますが・・・「年季奉公の形をとる」「養女にする手続き」これらの方法は人身売買とはなりません。偽装方法はいくつもあったのです。そしてその中に「女を証文上は男にしてしまう」という方法もあったのです。その方法を取れば男名前するしか無いのです。この名残が芸者の男名前として今でも一部で続いているのです。
今も昔も役所は帳面が合えばいいので、それらを見てみぬふりの知らぬ顔の半兵衛を決め込みます。吉原等幕府公認の性風俗街はそれなりの源氏名ですが、非公認地区辺りでは男名で誤魔化す傾向が強かったと思います。「名無しの権兵衛」発祥の地?深川・門前仲町では「権兵衛名」は有名です。そして深川は「これでもか」と言うが如く更なる必殺技?繰り出しました。擬男化作戦?で羽織まで着させます。他のご回答者さんも仰せの如く、都の東南の辰巳方向に位置する深川の辰巳芸者や深川芸者を「羽織」「羽織芸者」と呼びます。辰巳芸者も羽織も今や死語化しましたが、当時から辰巳芸者は色んな意味で抜けた存在だったと思います。北千住辺りの芸者を丑寅芸者と言いませんし、高田馬場辺りの芸者を戌亥芸者とも言いません。もう一つ思い出しました浅草にある古民家風の作りの飲み屋さん東南屋と書いて、たつみやと読ませてましたね。今もあるかどうか新羅ません。

質問した人からのコメント

2013/1/1 18:24:28

驚く なるほど、そういうことだったのですか。
老獪としか言いようがないですね。見習わないといけません。
非常に詳しく教えていただき有難うございました。
ご回答に感謝いたします。

博学なすべての回答者様

uraomotejamanekoja 様
dsmpm 様
uramesianoakaneko 様
umeichirin221 様

にお礼申し上げます。本年も宜しくお願いします。
次回のつたない質問にもご教示ください。
お待ちしております。

ベストアンサー以外の回答

1〜4件/4件中

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ID非公開さん

2012/12/2603:08:55

芸者遊びが出来る程度の人が、携帯に女名を登録しておいたら馬鹿です。

昔だって芸者からお誘いの手紙は普通に届きました。

色っぽい名前で手紙を書けば(家庭内)騒動になるので、「音吉」や「染太郎」になるのです(笑)。

いや~っ、釣った魚なのに本当に恐いですね。

芸者遊びが出来る程度の人が、携帯に女名を登録しておいたら馬鹿です。...

2012/12/2523:04:10

芸者でも深川の芸者さんの特徴
辰巳芸者・羽織芸者と呼ばれ
気風の良さを売り物にしてたとこから
男名前を名乗りました

芸者でも深川の芸者さんの特徴
辰巳芸者・羽織芸者と呼ばれ
気風の良さを売り物にしてたとこから
男名前を名乗りました

2012/12/2523:01:57

例えばお客が他所で芸者の話をした時に「お駒が」とか「小春が」というと直ぐに「あ、それ者(ソレシャと読みます。芸者のこと)の話だな。」とわかってしまいます。
けれど「辰吉」やら「染丸」だと「ん?男だけで飲んで来たのかな?」で済みます。
もっとわかりにくくするために「金魚」とか「熊」なんていう凄い名前もありですし。
芸者の方も今で言う営業をかける時に男名前なら気兼ねなく手紙も書けます。勿論、本気の相手でも世間を憚るような仲だった場合には、男名前の方が便利ですし。(泉鏡花の「婦系図」を読んでもらうとよくわかると思います。)
そんなわけで、男名前を名乗るケースが多いのですが、地域差もあります。
江戸ではそうですが、京では「○その」とか「花×」のような女感満載の名前が主流です。因みにドラマで有名になった「○千代」というのも元々は男名前です。(徳川家の嫡男は大抵、幼名「竹千代」ですし、黒澤映画の浪人も「菊千代」だったことで納得していただけるかと思います。)

2012/12/2522:08:51

江戸時代の遊廓の名残である。江戸幕府は、奴隷制を厳重に禁止し、とくに婦女子の人身売買は厳罰に処せられた。吉原や品川などの遊廓では、法の網の目をかいくぐる形で、人身売買が行われていた。年季奉公の形をとったり、手続き上養女にしてカムフラージュしたのだが、男性名をつけて、男性として届け出たのである。これが、現在でも、芸者衆の男名前として残っている。 と言う説があります。

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