ここから本文です

藤原氏の一族の中で、藤原摂関家みたいに政治、謀略にはたけておらず、お人よしで...

kon********さん

2013/1/1019:18:11

藤原氏の一族の中で、藤原摂関家みたいに政治、謀略にはたけておらず、お人よしで出世コースから外れ和歌とかの文化面ばかりが優れていた人物って誰が挙げられますか?
個人的に、藤原定家、弟

の藤原頼長に政治面では叶わなかった、兄の藤原忠通とかは挙げれると思います。
忠通とかは見ていたら、保元の乱に勝っても信西に出し抜かれたり、最終的に格下だった武士の平清盛に藤原摂関家を頼むと頭を下げましたし、能力が無い分必死だったと感じます。
平清盛を慕っていた、忠通の息子の近衛基実もそんな感じですよね。

閲覧数:
644
回答数:
2

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

fla********さん

2013/1/1116:17:02

摂関家の成立よりだいぶ前ですが、いわゆる「藤四子」の末弟の「藤原麻呂」なんかそういう感じの人だったようですよ。古い家系図集の「尊卑分脈」によると、麻呂は「自分の上には立派な君主がいるし、自分の下には有能な臣下がいる、私は音楽と酒を愛していればいいのだ」と語っていたといわれ、彼は上昇志向というか権力志向の人ではなかったという事を指摘する人がいます。
当時藤原氏は一族一丸となって覇権確立に必死だった頃で、長兄の武智麻呂を中心に、一族繁栄のためか麻呂もそれなりに文武に活躍しましたから、彼が本当にそのようなのんびりした人柄であったかどうかはわかりませんが、後年の藤原氏と違い、一族兄弟仲は良かったようで、互いにお見舞いをしたせいか、兄弟四人とも同じ年に天然痘で亡くなっています。
麻呂の父親は藤原不比等ですが、母は不比等の異母妹の「五百重娘」という人で、「不比等と五百重娘が密通して麻呂が生まれた」とさきほどの「尊卑分脈」にもはっきり書いてあり、彼には複雑な出生の事情があったようです。
そういった事情が、彼の人間形成に影響していたのではないかという方もいるようです。
ちなみに、四兄弟はそれぞれ「南家」「北家」「式家」「京家」の四家の祖となりますが、麻呂の流れの京家は一番早く衰退したようです。すると、歌の研究に熱心だった息子浜成はじめ少なくとも彼の子孫たちは政治より文化系だったかも知れませんね。

質問した人からのコメント

2013/1/12 12:47:09

温和な人ですね。
好印象です。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

kdk********さん

2013/1/1022:55:55

藤原公任なんかどうです?
藤原兼家が「ウチの息子たちは公任の影を踏む事もできないできない」と嘆いたほどの秀才として鳴らしていましたね。
結果的には出来が悪いと思われた兼家の息子の道長のほうが政治では勝ちますが、文芸面では完敗でしたからね。
実際公任がお人好しだったかは知りませんが。

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる