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二度目は江戸時代、大石寺が要法寺から法主を迎えていた頃のことだ。18世日盈の病...

kan********さん

2013/2/720:44:54

二度目は江戸時代、大石寺が要法寺から法主を迎えていた頃のことだ。18世日盈の病死で再登座した19世日精が、支援者の敬台院(徳川家康の曾孫で、 徳島藩主の正室)と仲違いし、江戸の常在寺に逃げて来ていたため、大石寺が2年間、住職不在になっていた。
大石寺が無住では幕府の朱印改めを受けることができないので、敬台院を折伏教化した要法寺派の法詔寺日感の推薦で日舜を18世として要法寺から迎えた。だが、日舜は日精からの相承を受けておらず、日顕同様、不信感が渦巻いた。そこで、日感が日舜の大石寺入山に際し、法主の権威を高めるため檀家頭に送った書状が、「日蓮正宗聖典」の一節である。
この日感は「造仏・一部読誦」を唱えた要法寺・日辰の末流で、本人も造仏等の大謗法を犯した悪僧だ。

「法主本仏論」を正当化するのに要法寺の流れをくむ日教、日感の文書を持ち出さなければならないこと自体、この「法主本仏論」が妄説である証明である。



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日蓮正宗外部改革派憂創同盟

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ベストアンサーに選ばれた回答

dak********さん

編集あり2013/2/1109:40:43

発狂中の苺ちゃんは、こんなこと知らないでしょう(笑)

>これをどう思いますか?

日顕宗法華講員は、こういった事実や現実は見たくないようです(笑)

質問した人からのコメント

2013/2/14 12:36:12

苺一枝の泣き言が増えて来たなwWw

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

2013/2/722:49:16

法主のためならなんでもやるところが宗門らしいですな。

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