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旧東海道を歩いてみました。

moro032416さん

2013/2/2723:05:28

旧東海道を歩いてみました。

昔(江戸時代)の人は1日何キロくらい街道を歩いて旅をしたのでしょうか。朝早く旅籠を出立し夕暮れ近くまで歩いてたのでしょうか。

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2013/3/119:32:12

「旧街道を歩くこと」を趣味とする者です。私も10年前に制覇しました。その時に集めた資料からお答えいたします。

まず、1日の距離ですが、「男10里、女9里」というのが平均だったそうです。安藤広重が甲府に旅した日記によると、4日で到着しています。つまり、140キロを4日で歩いていることから、山道を一日35キロ、約9里で歩いた計算になります。甲州道中ですらこのペースですから、より平坦な東海道ではやはり10里が平均だったようです。

また「日本の街道ハンドブック」(三省堂刊)によると、以下のような記載があります。
「お江戸日本橋七つ立ち」は大名行列だが、七つというから午前4時頃に出発するということ。まだ未明で薄暗いが、早く発って陽のあるうち歩くのが旅人の鉄則であった。つまり足元の明るいうちに歩けば安全であり、長距離を歩くこともできる。所要日数が減って経済的でもある。」

つまり、日の出とともに歩き始め、陽の高いうちに行けるところまで行く、というのが一般的だったということです。

私は、最初そんなに長い距離を歩く自信がないので、1日20キロで始め、慣れてきてから、35キロにスピードアップしました。結局佐屋街道経由で18日かかりました。昔の人はかなり健脚だったということです。

参考になれば幸いです。

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yadachanfanさん

編集あり2013/3/210:17:41

城下町や宿場の木戸が開くのが明け六ツで、 木戸が閉じるのは宿場だと暮れ六ツが、一般的だったようです。
江戸は町が大きいので町々に複数の木戸が設けられており、夜は閉じられることになっていました。
木戸番は四ツ(およそ夜10時頃)に木戸を閉めましたが、これは盗賊や不審者の通行や逃走を防ぐためで、四ツ以降に用事のある者は木戸番が改められたうえで、木戸の左右にある潜り戸から通ることなっていました。
江戸から出立は、ですから明け六ツ前でも可能でした。

したがって基本的に宿場の木戸が開く明け六ツに歩き始め、木戸が閉じる暮れ六ツまでに歩くのを止めることになります。
次の宿場までの距離によっては、到着時刻が六ツを過ぎてしまいそうだと、かなり早目に宿泊してしまいます。
明け六ツや暮れ六ツの時刻は、夜明けの時刻、日暮れの時刻です。
道中では、暗い夜道を歩いて旅することは、危険なのでしなかったということです。そのため宿場の木戸もその考え方に基づいていたということです。宿場町の内は夜も歩けます。
当然明け六ツや暮れ六ツの時刻は、 夏と冬でまったく違います。
年間平均で1日に旅に使えるのは、およそ12時間。休憩時間や食事時間も必要です。

江戸時代の男性が旅をする際の1日平均移動距離が、 およそ10里(約40キロ)くらいが目安だったようです。
現代人の平均歩行速度からすると約10時間となります。まあ徒歩の旅が当たり前の当時の人なら歩けない距離や時間ではないといえると思います。また当然のことながら10時間よりも早く歩ける能力があったはずです。

2013/2/2723:11:02

朝早く旅籠を出立し夕暮れ近くまで歩いてたのでしょうか

暗いうちから出発することも多かったようです。
3,40kmじゃないでしょうかね。体力的に。

私が読んだ一番凄いのは、山岡鉄舟の日帰り江戸成田往復です。
これはちょっと・・・・・・常人では・・

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