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薩長土肥と言われますが・・・

den********さん

2013/3/512:38:58

薩長土肥と言われますが・・・

日本史で、「薩長土肥」という言葉があります。これは明治維新に尽くした人材を輩出した藩のことです。
薩摩、長州、土佐はわかるのですが、「肥」とはどこのことでしょうか?
佐賀、長崎の「肥前」でしょうか?熊本の「肥後」でしょうか?
そして、その地域はどんな人材を輩出したのでしょうか?

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ume********さん

2013/3/512:55:46

「肥前」の佐賀藩のことです。

佐賀藩鍋島家は、長崎警備をしていた関係で、最も早い段階で西洋の軍事力のすごさを知っていました。
幕末の鍋島閑叟が軍備の西洋化をすすめ、諸藩でも有数の軍艦・軍備の保有藩になりました。

幕末の動乱期にあっては、佐幕・倒幕どちらにもくみせず様子を見ていましたが、鳥羽伏見くらいから倒幕に参加します。
ですので、他の薩長土のように西郷や木戸、坂本といった幕末に奔走する有名人はいません。
正直、おいしいところ取りでオイオイって感じですが、倒幕側も勝てるとは限らない戦いだったので、最強軍備である肥前の参戦は大歓迎だったのです。
それで、最後だけとはいえ維新に大きく貢献したということで、薩長土肥といわれるようになりました。

有名な人材としては、江藤新平、大隈重信、副島種臣、大木喬任、佐野常民といった人を出しています。
江藤・大隈・大木は確か参議(現代でいう大臣)にまでなっていますよ。

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hk8********さん

2013/3/516:54:34

肥前佐賀藩です。

幕末期においては人材よりも
アームストロング砲の貢献度の
方が高いです。

eki********さん

編集あり2013/3/708:14:48

肥前は佐賀のことです。幕末に佐賀藩は長崎の出島の警備を1年交代で福岡の黒田藩と担当してました。出島はオランダとの貿易のための港です。そこでイギリス(英国はスペイン及びオランダと戦争中)のフェートン号がオランダ国旗を掲げ入港して乱暴狼藉を働きオランダ人を人質にとって去っていきました。当時の佐賀藩の藩主は責任をとらされ引退となり、その子直正は、この件を非常に痛烈に痛み入り佐賀藩の富国強兵に努め、明治維新のころには欧州の小国程度の武装を完成させておりました。明治維新ではその武力が大いに役にたったとのことです。
人材としては、江藤慎平(初代司法卿・・・法務大臣)、大隈重信、佐野常長(日本赤十字創設者)、副島種臣(外務卿)等その他、多々いますが、大久保利通との政争に敗れ、江藤慎平が佐賀の乱で罪人とされ処刑されるなどして、その後は薩長が政権の中枢を占め、佐賀の偉人は野に下って活躍しております。

mug********さん

2013/3/512:55:33

肥前佐賀です。
江藤新平、大木喬任、大隈重信 などが政府の高官になりましたが、王政復古から維新に至るまでの薩、長、土と同列に並べる貢献はしていない、何故薩長土肥なんだ、と疑問視する学者もいます。

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