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太平洋戦争開戦前 日本の負けを確信していた日本人は何人いましたか

yel********さん

2013/4/802:06:08

太平洋戦争開戦前 日本の負けを確信していた日本人は何人いましたか

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che********さん

2013/4/809:17:35

上層部はほとんど理解していました。有名な山本司令官は、開戦前、三年は暴れてみせるが、長期戦になれば、必ず負けると言っています。
なぜ開戦しなければいけなかったのか、アメリカによる経済封鎖などが国民の生活に与える影響など、当時の上層部の苦悩が伺えます。

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rpk********さん

2013/4/1410:37:16

中2男子です。
中学校で戦争について調べる機会があったので、祖父や地域の戦争経験者の方々に話を聞きにいきました。
やはり当時(日米開戦時)は真珠湾攻撃に続いて連勝中の連勝だったので、一般的にはアメリカには絶対に勝てるという風な考え方は浸透していたそうです。これはあくまで国民の考え方で軍部では相当に違ったらしいです。僕の祖父は憲兵隊にいましたが、アメリカに勝てる訳がないと発言した将兵は大量にいたそうです。
しかも戦争前期でです。
ミッドウェイ海戦の敗北は国民には隠されていたのでサイパンを取られて空襲が連日になってやっと負けると気付いたと聞きました。(国民が)
だけどやはり軍部では早い段階で無理だと気づいていたと思います。

mt7********さん

編集あり2013/4/901:37:22

少なくとも以下の人々は知っていました

総力戦研究所所長・陸軍中将 飯村穣が
日米戦争を想定した第1回総力戦シミュレーションを始めます

1941年7月から8月にかけて軍事・外交・経済の各局面での具体的な事項
(兵器増産の見通しや食糧・燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携など)
各種データを基に分析し、日米戦争の展開を研究予測

1941年8月27・28日
首相官邸で『第一回総力戦机上演習総合研究会』が行われます

その結果は
「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、
その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。
戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。
ゆえに戦争は不可能」という「日本必敗」の結論を導き出した。

これは現実の日米戦争における
(真珠湾攻撃と原爆投下以外の)戦局推移とほぼ合致するものであった。

猪瀬直樹
『昭和16年夏の敗戦 - 総力戦研究所”模擬内閣”の日米戦必敗の予測』


東條が「机上の空論」と一蹴しましたが

当時列席した主要閣僚
総理大臣 近衛文麿
外務大臣 豊田貞次郎(予備役海軍大将)
陸軍大臣 東條英機(陸軍中将)
海軍大臣 及川古志郎(海軍大将)
商工大臣 左近司政三(予備役海軍中将)
国務大臣 柳川平助(予備役陸軍中将)
企画院総長 鈴木貞一(予備役陸軍中将)
海軍軍令部総長 永野修身(海軍大将)

陸軍参謀総長 杉山元(陸軍大将)
↑1941年7月駐米武官の新庄健吉大佐より
重工業で日本1:米国20、化学工業1:3、この差を縮める事は不可能と報告


あと全然話は変りますが
1939年公開ハリウッド映画『風と共に去りぬ』や
1940年公開ディズニー映画『ファンタジア』を鑑賞した日本人

「こんな映画を作る国と戦争しても勝てない」
「日本が物質のみならず、精神的にもアメリカに劣っているのがわかった」
と衝撃を受けたそうです

gan********さん

2013/4/814:35:46

何人かわからんけど・・・

戦争も末期になって、あちこちで空襲されたら、心の中ではひそかに負けた、と思ってたんじゃないかな。(とくに都市部の人々)

たいへんな苦難を乗り越えた当時のご先祖に敬礼っす。

esg********さん

2013/4/804:42:22

日本が負けるよう日本の内部から努力をしていた人たちは,負けを確信していたでしょう。

少なくとも

① 真珠湾攻撃では軍事占領もせず負け戦のごとく,すごすご逃げ帰るべきとの敗戦一直線の計画を立てた人間たちや

② 常日頃「お国のために死ね」など生きて勝利の努力をすべき軍人たちに自殺の洗脳を続けた人間たち

は,確実に負ける行動を強要して敗戦を仕組んでいたわけだから,負けを確信していたに違いありません。

私の父(1986年に他界)は敗戦時に,部隊長から配布された手りゅう弾で自決を試みたものの,おそらく部隊長のお情けで不発の細工がなされていたため自決に失敗して,部隊では唯一生き残ったことの後ろめたさをずっと引きずっておりました。

爆発で自決した戦友たちのむごたらしい遺体を,たった一人で弔わなければならなかった経験からか,人の死体にはできるだけ近寄ろうとしない態度は,異常と思えるほどでした。

開戦前でも兵士に「死ね」と命じている軍歌もあったので,負け戦を命じていたわけだから,そういう人たちも,日本の負けを確信していた人数に入れておきましょう。

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