薩長同盟は中岡慎太郎の発案である可能性が高いそうですが、詳しく説明してください

薩長同盟は中岡慎太郎の発案である可能性が高いそうですが、詳しく説明してください

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・「木戸孝允言行録」 (偉人研究 ; 第71編) / 渡辺修二郎 編著 (内外出版協会, 1912年) 「此時筑前人月形洗蔵、早川養敬薩長和解の論を唱へて薩の西郷吉之助と長の高杉晋作とを会合せしめ、尋ねて土佐の傑士坂本龍馬、中岡慎太郎も亦土方大一郎(久元)と謀り、薩長二藩の間に往来して調和の要を説き、薩人に対して長人の為に冤を弁じ、長人に対して薩人の悪意なきを説ときしより、薩長の気脉(きみゃく)稍や相通じ(近世史略、坂本龍馬伝等には薩長の調和を以て坂本の主唱とすれども入筑始末に記するが如く、土方中岡等の首唱せしこと事実なり、但し其の後専ら周旋の労を執りたるは実に坂本なりしこと下に記するが如し)、」 ・「西郷南洲」 (偉人伝叢書 ; 第3冊) / 長谷場純孝 著 (博文館, 1914年) 「土佐の藩士中岡慎太郎は九門の役(禁門の変の事)長軍に加はって負傷し、先生に面会して『薩長連合の道なきか』と尋ねしに、先生は『薩長連合はこれからの仕事なり』と答えしと云ふ。(中略)、福岡の藩士月形洗蔵、早川勇平(養敬)の二人は夙(つと)に薩長連合の宿志を蔵せしかば、これを好機として高杉に説き、一日先生を小倉より呼んで会見せしめたり。此時は互いに胸襟を披くに及ばず、唯共に郊外に散策して紅葉の紅なるを賞し、林間に酒を温めて一日に清遊を楽しみたるに過ぎざりしが、此会合こそは実に後日に於ける鞏固(強固)なる同盟の序幕として記憶すべきものなりき。(中略)。始め先生と高杉のの間を斡旋したる月形早川の二人は、其後罪を獲て福岡藩に召喚され、同盟の儀は一時中絶せんとせしが、爰(ここ)に又一層有力なる二個の新人物出現して遂に此の難事業を成立せしめぬ。土州の俊傑坂本龍馬及び中岡慎太郎実に其人なり。(中略)。坂本は勝の紹介によって先生と親交を訂し、先生とは肝胆相照せるの人、中岡は亦同じく土佐人にして坂本の盟友なり、此二人は夙に薩長土の三角同盟を形成して以て天下の大勢を制せんとするの大策を抱けリ、高杉山縣等の長州の過激派が恭順党を一蹴してその藩是を一変するや、二人は手を拍って快哉を叫べリ。慶応元年五月二人は相携えて大宰府に至り三条実美卿に謁して其策を述べ、次いで薩長諸氏の間に往返して合縦(あいじゅう・南北に連合する事)を策せり。(後略)」 引用が長くなってしまって申し訳ありません。長州、薩摩両藩の偉人を取り上げた明治時代の本を検索してみました。 「西郷南洲」で引用した最初の部分にある、中岡慎太郎が西郷に「薩長連合の道なきか」と尋ねたという話はほかでも読んだ記憶がありますが、事実かどうかは私にはわかりません。それ以外の部分については内容は一緒です。 最初に薩長連合の論を唱えたのは福岡藩の月形洗蔵と早川養敬が最初のようです。 ・月形洗蔵 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E5%BD%A2%E6%B4%97%E8%94%B5 ・早川養敬 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E5%B7%9D%E9%A4%8A%E6%95%AC 「木戸孝允言行録」はわりと学問的なもので、「西郷南洲」は文中で西郷の事を「先生」と呼んでいるように、西郷隆盛を尊敬する人の手になるものと思われますが、同時代の本ですし、これが明治時代の常識で、おそらく史実だと思われます。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

大変勉強させていただきました。 ありがとうございます。

お礼日時:2013/4/15 15:20