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愛する対象に妥協は許されるでしょうか? その2

sco********さん

2013/5/1108:32:25

愛する対象に妥協は許されるでしょうか? その2

前回の貴方様のご回答に気になる点がありましたので、リクエストさせて頂きました。ご回答頂ければ幸いです。m(_ _)m

まず、理論で納得させない限り動かないという点では、確かにその彼氏さんに親近感が湧きますね。^^;

『もしある人が私の考えや行動が間違っているという事を証明し納得させてくれる事が出来るならば、私は喜んでそれらを正そう。何故なら私は真理を求めるのであって、真理によって損害を受けた人間のあったためしはない。これに反して、自己の無知と誤謬の中に留まる者こそ損害を被るのである。』

というマルクス・アウレリウスの言葉も示すように、重要なのはどちらがより正しいか、ですからね^^

その上で気になった点を質問させて頂きますが、貴方様の意見はつまり、「寛大になる、受容する」「違いを受け入れる」「相手の成長を信じる」ことで自分と違う考えを持つ相手を愛することができる。ということなのでしょう。
確かに、その考えならば理想でない相手を愛することも可能です。
ですが、それは極端に言えば、「誰でも愛せる」ということにほかなりません。
何故なら、どんなに低俗で魯鈍な人間でも、成長の余地はあるからです。

しかし、もちろん誰とでも結婚できるなどと断言できる人間はそうはいないでしょう。
「彼らなりの一緒にいる必要性」という貴方様ご自身の発言とも矛盾してしまいます。
では、やはりボーダーラインを引いて決めるのでしょうか。
又は、フィーリングなどの漠然とした基準で決めるのでしょうか。

この問題は、フロムの「愛するということ」第2章の異性愛に関する記述の最後にあるパラドックスと重なるものがあり、かのフロムでさえも明確な回答を出せなかった問題です。

そこで私は考えます。確かに誰しも成長はできるし、違いを理解し合うこともできる。
自分の価値観と完全に一致する相手を探し求めるのは理想論だ。
しかし、だからと言って無差別に付き合ったり結婚したりできるなどと言うわけにもいかない。

ならば、幸福主義的に、異性愛に限っては、相手の人格を吟味し、「今後に期待」などせず、やはり最低限「尊敬」に値する知性の持ち主であると判断した場合に限り、付き合うべきだと。
そのような異性がいないならば、潔く諦めるべきだと。

人生の伴侶にだけは、「教育」ではなく「支え合い」を意識したいと。

ただし、この理論も片手落ちかもしれません。

その点についてはどうお考えでしょうか?

補足まずはご回答ありがとうございます。^^

成程、「空気や仕草」などのフィーリングによって選出し、「寛容」を以て愛する、と。
「空気」などの点が若干判然としませんが、確かな経験に基づいた中庸を得た考えだとは思います。

では、逆に言えば「フィーリングの合わない相手とは無闇に付き合うべきではなく、少なくとも直感が指し示す相手が現れるのを待ち、現れなければ潔く諦めるべきだ。」という事で異論はありませんでしょうか?

この質問は、lit********さんに回答をリクエストしました。

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ベストアンサーに選ばれた回答

lit********さん

リクエストマッチ

編集あり2013/5/1415:24:53

返答が遅くなりまして申し訳ありません。(^^)
どのようにお応えするか、少々迷っておりました。笑
まず、前回の質問に関しては、質問者さんのコメントなどに討論に対する穏やかさと寛大さを感じました。有意義なディベートの貴重な機会を頂いています事には、こちらもとても感謝するところです。

前回のご質問でも感じたところなのですが、このテーマに関しては、私個人としては理論的な解釈の仕方よりも共感に訴えたいと思っているところがありまして、質問者さんに私のプライベートをお話したのはその意図もありました。

さて、質問者さんの仰る「誰でも愛せてしまう」ですが、理論的に考えればそういった答えも出てくると私も思います。
ただ、もちろん、私もそのような不特定に誰でも愛するようなことはしたくありませんし、必要性も感じませんし、できませんね。笑 嫌いな人は嫌いです。笑

他人に対して寛大に慣れるかどうかの私の基準は、「相手の私への関心の程度」によるでしょうか…。信頼関係には長い時間をかけきちんと相手を理解することが必要ですし、友情というものも人により当てにならないものだったりしますので…。笑
ですから、友人関係に置いて言えば、関係の中で意志疎通が上手くいかなかった際、その不快感や状況を改善しようと試みてくれる態度が見られると、「ああ、この人は自分との関係を大切にしたいのかな…」という気持ちを拾うことができるので、その姿勢に応えたいと思いますね。その際、相手の一時的な感情を伴った言葉よりも、彼らの態度で判断することを心がけてはいますので、その点に関して言えば、多くの女性は私のようには行動しないでしょうし、私自身、一般的からは外れているかも…とは感じています。笑
個人的にカウンセリングというものを少々学び、さらに語学を勉強してきた中で接してきた様々な国の友人達の思考プロセスや人生観などに触れられたことなどが、こういった相手への価値判断に多いに影響していると思いますね。

世の中には、「本人に意図があろうとなかろうと」、人の痛みよりも自身のエゴが大切な人たちはいますよね。彼らは言葉巧みに魅力的な表現を駆使しますが、態度はひたすら冷酷だったりするものです。本人は疑いの余地なく一心不乱に主観的で…(−”–; 相手に配慮なく人間関係を切る事でさえ躊躇ない態度をみせたりします。ですから、そんな人たちにまで寛大であろうとは私も思いませんね。笑

ただ、恋愛となると、一番大事な「好き」という気持ちがありますよね?
これは、理屈ではなく直感ではないでしょうか…。
その人の容姿的なものだったり、その人オリジナルの醸し出す空気であったり、仕草や表情などなど…。
恋愛には、こういった事は大きな役割を果たすと思うのですけど…。
人柄を知り恋に落ちて行くこともあるかもしれませんが、相手が恋愛の対象になるかは、随分早い段階でどこかで決まっていると思うのですけどね…。

恋愛関係では、前記に述べた相手の持つこちらへの関心を、好きな相手が持ってくれている訳ですから、相手の受け入れがたい欠点やらを大分カバーしてくれると思うのですけど、どうでしょうか…。(^^;
相手が自分に一生懸命であったら、不器用な面とか、許せたりしません?

補足をうけて
それは、ちょっと違うのではないですか?
質問者さんは、「”愛する”対象への妥協」について仰っているのですよね?
「好き」と「愛する」は違うと思うのですが…
誰かを「愛する」のは、時間をかけ、相手を知りながら行って行く事でしょう。
始めに出会った瞬間からその人を「愛している」なのでしょうか…?
好きでいる時はまだ、相手も良く分からないときだと思います。そんな時に相手の様々な面を見ても好きな気持ちが相手を受け入れる事に上手く機能していってくれます。そして、徐々に愛する対象になるのではないですかね。
愛していれば、相手が「らしく」いることを受け入れようとすると思います。

だから、自分を大切に思うみたいに、”同じ”くらい彼を大事に思います。(^^)
私も完璧な人間ではないので、彼も完璧でなくてもいいのです。私の目線も、時折当てにならないので…。二人で一人前って感じ。笑 でも、むかついたらしばきますけど…。ww

自分を見失ってしまうくらいの恋に翻弄されたら、分かるかもね。(^^)

質問した人からのコメント

2013/5/15 02:26:27

成功 ご返答痛み入ります。

しかし、やはり知恵袋は討論には不便な点もありますね^^;
微妙な齟齬もあったりするので、文字数と回数の制限さえなければより充実するのですが^^

そして、その最初の「好き」を直感できる相手にすら、この世界ではまだ出会った事がないので、もし存在するのであれば、是非とも出会ってみたいものです。^^

ただ、「自分を見失う恋」には、結晶作用が働いている事も大いに考えられるので、用心しますが^^

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