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キックボクシング世界チャンピオンのベニー・ユキーデの日本での知名度って当時ど...

tom********さん

2013/5/1202:24:28

キックボクシング世界チャンピオンのベニー・ユキーデの日本での知名度って当時どれくらい凄かったのでしょうか?

最近ジャッキーチェンの映画・サイクロンzとスパルタンxを見たのですが、ど

うもラストの相手役の動きや雰囲気が妙に格闘家っぽいなと思ったので調べてみたところ、案の定その相手役ユキーデは80年代のチャンピオンだったので驚きました。

僕は90年代生まれなので詳しくはネット上でしか分からず、YouTubeで見たユキーデの実際の試合風景を見て凄く強くてかっこよかったので、当時の人達の知名度はどうだったのか、と気になったので質問させていただきました。 文が長くなり上手くまとめられなかったのですが、どうか教えて下さい。

補足一つ目の段落、「知名度って当時どれくらい凄かった」ではなく「当時の知名度はどれくらいだったのでしょうか」でした。

それではお声を聞かせて下さい。

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ID非公開さん

2013/5/1222:59:21

ベニー・ユキーデは日本でキックボクシングのブームが下火になりかかった頃(1977年)に初来日を果たしました。

当時、絶大な人気を誇ったプロレスラーのアントニオ猪木が、前年76年に行ったボクシング史上最も偉大とされるモハメド・アリとの異種格闘技戦にて発生した莫大な借金を返済すべく、異種格闘技戦という名のプロレス路線を邁進しており、その対戦相手の一人として選ばれたアメリカの空手チャンピオン、ザ・モンスターマンことエベレット・エディとのプロレス興行の前座試合に、当時の全日本キックボクシング協会のランカーだった鈴木勝幸選手を6RKOで勝利し、日本の格闘技ファンに鮮烈な印象を与えました。

ベニー・ユキーデは、伝統的な空手にボクシングを融合する事で始まったフルコンタクト空手にて、アメリカでは老舗のPKA(プロ空手
協会)のライト級王者を獲得したものの、政治的な理由でタイトルを剥奪されて、当時創設されたばかりのWKA(世界空手協会)の選手としてアメリカ国外に活動の拠点を見出そうとしていた折の来日でした。

対鈴木戦を皮切りに、ブームが下火になりかかっていた日本のキックボクシングは、全日本キックボクシング協会、老舗の日本キック・ボクシング協会も同時に、アメリカのフルコンタクト空手(日本では全米プロ空手)との双方の競技の妥協ルールにて、マッチメークを始め生き残りを図ろうとしました。

しかし、ルールの差異も然ることながら、競技としての成熟度が浅かったプロ空手にはベニー・ユキーデを始めとする数名以外は日本選手とはまともに対抗できず、結果的には80年代に入り、日本におけるキックボクシングはテレビ放映が無くなり、団体は分裂を繰り返したりで、一過性のブームとして終わってしまいました。

日本におけるプロ空手のパイオニア的存在のベニー・ユキーデは、当時の格闘技界のフィクサー的存在だった劇画作家の故・梶原一騎氏が自ら原作を務めた「四角いジャングル」にて主役級の紹介をされた事から、日本中に多くのファンを生み出しました。

ですが、当時は現在のような格闘技雑誌が存在していなかったので、劇中で描かれたベニー・ユキーデはルックスはおろか、その出自がすべて創作(一応建前上はノンフィクションを謳っていた)で、ベニー・ユキーデ自身はカルト的人気を得たものの、ユキーデ個人およびアメリカの空手界に関する正しい理解は全く得られない状態が発生し、後年、梶原氏の劇画に影響を受けた格闘技雑誌のスタッフによる特集でも意図的に正しい情報が掲載されていない状況が続きました。

当時のベニー・ユキーデの人気は、試合のテレビ中継そのものは初戦の鈴木戦は新日本プロレスの興行であったので、テレビ朝日でしたが、それ以降は東京12チャンネル(現在のテレビ東京)でしたので、露出度は地方によっては違いがあったと思われますが、梶原氏原作の「四角いジャングル」は、ユキーデの試合を中心に実際の格闘技やプロレスの映像を編集して作成されたドキュメンタリーとして全国規模で公開され、当時既に格闘技ブームのピークだったので、知名度は高い方であったと思われますが、ただし、日本のキックボクシングブームの立役者の沢村忠とどちらが有名であるかというのであれば、当時の感覚でいえば、沢村氏だったと思います。

ベニー・ユキーデの知名度というか、影響という事であれば、むしろ格闘技ブームが去って、「四角いジャングル」の劇画で育った世代が90年代に始まった格闘ゲームにてその影響度が見て取れるようになりました。 劇画「四角いジャングル」にて、ユキーデの出自はおろか、彼の競技、フルコンタクト空手が、空手にボクシングを導入したという事実は無視され、ありとあらゆる格闘技の長所を集め、アメリカの軍人が戦場で使用するために作られた格闘技、”マーシャルアーツ”である、という紹介をされた為です。
無論、”マーシャルアーツ”は英語で武道を意味する普通名詞ですが、そういった事実は梶原氏の創作の前に完全に無視されました。

実際のベニー・ユキーデその人というよりは、劇画で描かれた美化された、当時の日本人が憧れたアメリカをイメージさせてくれる格闘家という点が注目され、90年代初期の格闘ゲームには、”マーシャルアーツ”なる格闘技を使うキャラクターが頻繁に紹介されていました。

結論として、ベニー・ユキーデは確かに日本にて一定のファン層を獲得した格闘技選手でした。その影響は実際に彼の試合を追いかけた格闘技ファンや、また劇画にて描かれた誇張されたイメージに憧れたファン層の二つに分かれると思います。

ベニー・ユキーデは日本でキックボクシングのブームが下火になりかかった頃(1977年)に初来日を果たしました。...

質問した人からのコメント

2013/5/18 23:18:51

ここまで詳しく教えて頂いて…ありがとうございます。

なるほど、ユキーデのファン層は主に格闘技ファンそして劇画によるユキーデの像のファンというものがいたと言うわけですね。そして世の多くの人にその名が広く知られなかったというのはキックボクシングが途中でテレビ放送されなかったという背景があったのでしたか…。どうりでうちの父親も知らなかったわけですね。

詳しく分かりやすく教えて頂き、ありがとうございました。

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