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カントの「知」「情」「意」をそれぞれ具体例を挙げて説明してください。

naritoku2003さん

2007/2/1323:56:36

カントの「知」「情」「意」をそれぞれ具体例を挙げて説明してください。

カントの「知」「情」「意」をそれぞれ具体例を挙げて説明してください。

御回答よろしくお願い致します。

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ベストアンサーに選ばれた回答

2007/2/1419:30:48

カントが主張した背景には、
プラトンから始まる主知主義の批判があります。


人間は、知性だけの動物ではありません。
昔は、知性を働かせれば、神をも知る事が出来ると思っていました。
しかしカントは、人の心や、世界そのものや、神は、知によって理解されるものではないと言います。

人間は理性を持っていますが、この理性は、知の理性だけでなく、
感情の理性、意志の理性があると言います。
意志の理性とは、道徳的に振る舞おうとする実践理性です。
道徳的に振る舞う知的な理由はなく、それは知の問題では無いというのです。
この世界は目的があって生じたと考えがちですが、それも知の問題ではなく、情の問題だという事です。


しかし人間とは、単に、「知」「情」「意」の総和ではありません。
人間は、部分の集合ではなく、知・情・意を備えた、全体的な存在なのです。
ここまで、はっきりとはカントは述べていませんが、
現在の解釈は、その様な解釈です。

カントの「純粋理性批判」「実践理性批判」「判断力批判」の著書が
3批判書として呼ばれる理由は、それぞれの理性の限界を示しているからです。

そしてカントの結論は、3批判書をとおして、人間学を提唱する事にありました。
カントは、哲学は3つの問いを問題にすると言います。
「私は何を知りうるか」「私は何をなすべきか」「私は何を望んでよいか」
それぞれ、知・意・情に対応する問いです。
3批判書によって、自己の知・情・意のありようを吟味検討していきますが、
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ubukata/20060605.htm
これらの問いは、究極的に、「人間とは何か」という問いに換言されると言います。


科学万能主義や、啓蒙思想といった、知性中心主義は、
ニーチェが批判する様な、彼岸を求める態度でしかなく、
つまり人間は、知(純粋理性)だけで終わってはいけないという事です。
人間には、道徳的に生きようとする、実践理性と、
世界は目的があって生じる(合目的性)と感じる、判断力(?)とがあり、
それらを含めた全体が、人間という存在なのです。


具体的内容
知…知性全般
意…意志全般
情…感情全般
その他…信仰など
これらの総和を超えた全体が、人間です

質問した人からのコメント

2007/2/14 23:42:26

抱きしめる 大変わかりやすい説明でした。
道徳的に振舞う知的理由はないというところが疑問ですね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1210479282
また、知、意、情はある程度関連性があるのではないかと思われます。
受験勉強は意欲を必要とするし、受験の国語の問題は道徳的内容を持つものが
採用されることが多いですね。
その他に他者との関係性など入れても良いですね。
御回答有難うございました。

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