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箕島高校野球部の尾藤強監督の事を教えてください。 尾藤公監督の息子さんと言う...

iji********さん

2013/5/2922:53:57

箕島高校野球部の尾藤強監督の事を教えてください。
尾藤公監督の息子さんと言うことくらいしかわかりません。
今までの球歴など、よろしくお願いします。

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ID非公開さん

編集あり2013/5/3017:07:09

箕島の時は親子鷹で甲子園を目指すと注目され、番組も組まれたほどです。箕島時代は投手。
1986年、2年生エースで予選にのぞむ。初戦、星林に3-4とリードされた9回裏逆転サヨナラで5-4と勝利。次いで智弁和歌山戦も延長の末5-4と勝利。次の伊都戦も延長で5ー4と際どく勝利。準決勝は大成を7-0で退け、1984年以来2年ぶりの甲子園出場目指して決勝の桐蔭戦を迎える。序盤リードされるも逆転して3-2となるのですが、尾藤公監督がある本で述べていたことがおきる。「これまで息子を『尾藤』と言ってきたのに、甲子園出場が見えて来て『強、ヒット1本でも打たれたら交代だぞ』と部員の前で父親の顔を見せてしまった」と、攻守交代時に発したという。部では常に選手と監督という位置付けであったのに、うっかり発言してしましい、指揮に響く。試合は9回表、桐蔭が猛攻3点を奪い3-5と逆転を許し、尾藤強はノックアウト、3年生の原井和也(西武、ロッテ)がリリーフします。9回裏、連打と送りバントで1死2、3塁、ひとまずワンヒットで同点の好機を作るが、後続が連続で抑えられ、甲子園出場はならず。桐蔭が25年ぶり20回目の出場となる。
参照:http://koushien.s100.xrea.com/yosenkinki/wakayama/86.htm
なお、これはある番組(1987年)でやっていた記憶と、本の「神様が創った試合」の中のエピソードから述べています。

1987年は3年生エース。3年ぶりの甲子園出場を目指す初戦はまたまた星林だが圧勝発進。次の試合も勝利して準々決勝の伊都との延長16回4時間30分の大熱戦を迎える。箕島が先攻。あのドキュメント番組で、同点で延長13回裏だったか14回裏だったか、尾藤強は無死満塁の大ピンチを招いてしまう。ここで投手前で高く弾んだゴロをジャンプして好捕、本塁送球で三塁走者アウトで1死満塁。次の打者も叩きつけて投手前で高く弾んだ打球、好捕して本塁送球で三塁走者アウトで2死満塁。あとはなんとか3アウト目を取りピンチ脱出。伊都は叩きつける作戦を取ったが、上手く対応した。そして16回表に勝ち越して勝利します。4時間30分の大熱戦の翌日、準決勝の吉備戦は疲れから、本塁打を浴びるなどいいところなく、打線も抑えられ0-3で敗退します。
参照:http://koushien.s100.xrea.com/yosenkinki/wakayama/87.htm
卒業後は法政大学に進学した模様。だが肩を壊して断念する。
参照:http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130302/wlf130302113000...

尾藤公監督、最後の甲子園出場の林孝哉(ダイエー、日本ハム、ロッテ)を擁した1991年センバツ、甲子園練習の日に尾藤強は打撃投手を買って出たそうです。父親同様、教員ではない監督。公氏は自動車販売業会社勤務、強氏は建設会社という。
なお、尾藤公監督の好敵手で盟友の星稜・山下智茂監督は1998年夏に親子鷹で甲子園出場を果たしました(息子は補欠でしたが、代打で出場)。

参照した資料は、他に「尾藤公一期一会一球」「尾藤魂」という書籍。

質問した人からのコメント

2013/5/30 17:39:31

降参 大変詳しいありがとうございました。親子共教員でない事に驚きました。

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