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松江藩って、松平ふまい公の時に、税率が7公3民までいったのですか?そんなに税...

yasuera124さん

2013/6/2105:50:02

松江藩って、松平ふまい公の時に、税率が7公3民までいったのですか?そんなに税率が高くなったら、百姓一揆とか続出したのではないでしょうか?

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teisonkurabuさん

2013/6/2106:04:19

何か今の世の中とにている様な感じがします。松江藩の事は良く知りませんが、、、すいません。

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jijiski63さん

2013/6/2114:04:32

出雲のかなり詳細な郷土史を見ても不昧公の時代に年貢が7公:3民であったという記載はありません。一貫して4公:6民であったとあります。不昧公の先代である松平宗衍(むねのぶ)の時代には寸志米として4,000石の増徴したという記録はあります。松平宗衍が2年分の年貢を一括して前納すれば、以降に新しく開発した新田の同面積の年貢は納めなくてよい(つまり、その田は農民の取り分とする)という義田法が誤って伝わったものではないでしょうか?むしろ不昧公の時代には松江藩が前年の困窮願いをうけて大原郡の6カ村へ融資しています。融資を受けた村では牛を購入して困窮脱却を図っています。不昧公の改革は、主として富裕層からの借金の踏み倒しや藩庁の役職のリストラ、藩外からの借金の利子の廃棄、商品作物の生産奨励などです。藩庁の役職のリストラでは約1000人を役職から外してその分の役職手当(役高)を浮かしています。藩士全数が約3000人ですから大変な人数です。
因みに、松江藩は表高18万5千石、実高約26万石ですから、確かに実高が表高を上回りますが、このくらいはどこの藩でも上回っていますから特別に多いことはありません。長州藩は特別なのです。

dsdafwefweswさん

2013/6/2106:27:42

高税率でも農民が食べていける秘密として、
実高と表高の違いがあります。
実高とは基本的には豊臣秀吉の太閤検地が元になった石高ですが
まず、対抗検地の時でも賦役を嫌って石高を過少申告する大名がいたのと、
江戸時代になると開墾によって実質の石高がふえるわけです。
長州藩など表高は34万石ですが、実質は三倍の百万石を超えてました。
それで、税率は表高にかかるものなので、八公二民とかでもやっていけました。

第二に年貢は「五穀」、地方によって違いますが「米、麦、泡、稗、黍、豆」などにのみかかりますから、
大根畑や芋畑などの租税のかからない作物の畑でやっていく方法もあります。

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