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浄土宗、浄土真宗のお坊さん! あなた達が「宗教家」を自負されるなら以下の質問...

cvb********さん

2013/7/1917:09:50

浄土宗、浄土真宗のお坊さん!
あなた達が「宗教家」を自負されるなら以下の質問に答えるべきではないですか?!

浄土真宗のお坊さん!教えてください!!

「〇〇回忌」って法事なるものは亡くなった人、先祖のためですよね
そのためにあなた達坊さんは念仏を唱えてくれてるんですよね
それに集まる人達はみんなそう思って来てくれるんですが、
ところが最近、そうではなく阿弥陀仏のためにするので先祖や亡人は関係ないと聞きましたが・・・
それが本当なら間違った思いの人達(ほとんどの日本人)にあなた達坊さんが
説明すべきではありませんか?そうしないのはなぜですか?
「聞かないから教えない」では宗教家としての倫理を疑います。
「南無阿弥陀仏」の意味すら教えてませんよね・・・なぜですか?
南無阿弥陀仏のお坊さん教えて下さい。
宗教家としての良心があれば是非お願いします。

補足結局「僧侶」なる人からの答えはゼロ・・・・これがすべてを語っていますね。
金儲けのためには教えるべき事も教えず、問われれば屁理屈をこねて矛盾を
正当化するのに必死・・・・冗談じゃない!!
こんなくだらない事に今まで付き合わされてきたのか・・騙された。

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ベストアンサーに選ばれた回答

den********さん

2013/7/2123:16:11

補足を見ました。

回答しようかと悩みながら、上段に構えた質問の仕方が???で止めました。

更に、三番目の回答者は、浄土宗の僧侶だと思いますし、ほぼその通りの回答ですから、回答は止めました。

三番目の回答者の文章を読めば、浄土宗の僧侶であることは簡単にわかるとおもいますがね。

質問した人からのコメント

2013/7/21 23:33:42

>>三番目の回答者の文章を読めば、浄土宗の僧侶であることは簡単にわかるとおもいますがね。
わからないから知恵袋で訊ねている。それに自ら名乗ればよいだけの話だろう。
何が「上段に構えた」だ!そう捉えるのはお前ら坊主が一般人より上だと思っているから
だろう!仏教はもとより宗教なんて本当にロクなもんじゃないな。さて、仏壇を叩き壊して
粗大ごみにでも出すか・・・いそがしいな。

ベストアンサー以外の回答

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int********さん

2013/7/2002:16:17

浄土宗ですが、我々は俗にいう供養を回向するとも言います。

回向とは、書いて字のごとく「回し向ける」という意味ですが、何を回し向けるのか。それは功徳です。

特に浄土宗では様々な行の中でも念仏(南無阿弥陀仏と唱えること)が一番功徳がたまる行とされます。

つまり、年忌法要などでみなさんが唱えた念仏や僧侶が唱えた念仏によって得られた功徳をご先祖様に回し向けるのです。
それは法要中の別回向という部分で戒名を読み上げるときに何のための法要か言いますからわかるかと・・・。

よって、年忌法要はご先祖様のものですし、御施主さんがご先祖様のために行う供養といえますよ???

南無阿弥陀仏と唱える以上、広義には阿弥陀様のためともいえる部分はありますが、本来御施主さんはご先祖様のために行ってるわけですから、根本的にはご先祖様のためというのが正しいと思います。

教義的な部分を言い出せばもっと細かいこともありますし、これだけの説明では多々足りない部分もあると思いますが簡単に言えばこんな感じでしょう。

ちなみに、私は今書いた内容を法要前に説明します。そして、「法要中に自分が南無阿弥陀仏と唱える部分があるからよければ一緒に唱えてください」ともいってますよ。

なぜ南無阿弥陀仏なのかとか南無阿弥陀仏の意味に関しては聞かれるといいます。これは完璧に教義であって時間の都合などもありますので。

自分の場合は、それよりも何のために唱えるのかという方の説明を重視していますね。

尊尊我無さん

2013/7/1921:09:38

浄土真宗では、先祖の為にお念仏、お経唱える追善供養という考えはありません。浄土真宗の門徒が亡くなるときは弥陀の来迎といい阿弥陀如来が多くの菩薩と共にお迎にこられ迷う事なく、阿弥陀の浄土で諸仏となるとされます。従って、先祖があの世で苦しみそれを救う為にに善を追加するという追善供養は必要がないという意味です。ではなぜ、法事を行なうかというと、他の方も書かれているように、先祖や亡き人を通じて仏の教えであるお経やその後に僧侶の法話を聞くという仏縁に逢う機会とします。それは先祖はただ死んだ人ではなく私達を仏の縁に導く諸仏であるからです。浄土真宗は法事を亡くなった人の追善供養の場とせず、仏縁に逢う場合とします。そして先祖を浄土に導かれた阿弥陀如来に報恩報謝し、やがて自らも阿弥陀如来に導かれて浄土に行くこと再認識し、阿弥陀如来とのご縁に感謝をする場であると考えます。

wzs********さん

2013/7/1918:19:45

僧侶ではありませんがお答えさせてもらいます。
まず前提条件から異なるかと思います。
主に浄土真宗に於ける法事は、先祖や亡くなられた人の為でない事は間違いありませんが、阿弥陀仏の為でもありません。
法事に参加される方々が亡くなられた人に思いを馳せつつ仏縁に会う為の場だとされています。
質問者の方の疑問として、何故そういった説明を省くのか?といったものがありますが、少なくとも私の知る真宗の僧侶の方は事あるごとに敢えて強調してまで門信徒の方々の前で葬儀や法事が死者の為のものではないと言われています。
また書籍などで真宗の思想に触れる事も出来ますし、寺報等でも情報を得る事ができます。
これはあくまで感想ですが、大多数の方が真宗の教義に対して興味を持たない事も問題なのではないかと考えています。無論、真宗教団側の努力不足も否定できませんが。
こういった場所で疑問を投げかけられるよりは、疑念を感じられたその場所でお尋ねになるべきではないでしょうか。

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