ここから本文です

武田勝頼の崩壊は、木曾義昌反逆から始まり、ドミノ倒しの如く、親戚衆、同盟諸侯...

kom********さん

2013/7/2216:43:50

武田勝頼の崩壊は、木曾義昌反逆から始まり、ドミノ倒しの如く、親戚衆、同盟諸侯の武将が次々に織田・徳川軍に内応・寝返り、滅び去りましたが、織田・徳川軍に内応・寝返た武将で、直ちに粛正されず

生き延びた武将は穴山梅雪だけだったでしょうか。

閲覧数:
412
回答数:
2

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

川崎さん

編集あり2013/7/2700:38:46

文字化けしたので打ち直しています。

めんどいから略します

穴山玄蕃頭信君
(略します)
木曾伊予主義昌
(略します)
曾根下野守昌世
(興国寺城城代。信玄の両目と言われた。)
下曽根中務大輔信辰
(小諸城城代。勝頼の従兄弟、武田信豊を殺す。)
小山田左兵衛尉信茂
(略します)
関甚五兵衛
(足軽大将、持船城に在中。どれかわからなかった勝頼の首を確認した。)
小笠原掃部大夫信嶺
(松尾城主。道案内を勤める。)
岡部次郎右衛門正綱
(清水城主。穴山を家康に仲介。)
保科正直
(飯田城主。玉砕覚悟の高遠城から織田に内通。)

他にもいたけど消えちゃいました。スミマセン。思い出したらかきます。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

lai********さん

2013/7/2220:16:39

木曽義昌がいます。滅亡の1ケ月前、韮崎の武田八幡宮へ勝頼夫人が納めた願文では、彼女は木曽義昌の裏切りを激しく非難しています。義昌は後に秀吉によって木曽の本領を召し上げられ、下総で亡くなっています。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる