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経済評論家 三橋貴明は、いろんな人から何言ってるんだよと笑われながら言われてい...

ptg********さん

2013/7/2222:12:24

経済評論家 三橋貴明は、いろんな人から何言ってるんだよと笑われながら言われているのをよくみますが、変わり者なんですか?

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oxf********さん

編集あり2013/7/2600:25:55

私はミクロ経済学を学び銀行員として日々仕事をしているが、三橋氏を評価する。
データを示してわかりやすく経済を説明した功績があると評価しています。


まあ、批判の多い人ですし、池田信夫や同志社教授の浜矩子などとは思想的にも正反対で、よく三橋氏は彼らに批判されてます
でも、じゃあ、既存のエコノミストや学者が真っ当なことを言っているかと言えば、そう思わない。むしろ、既存の学者・エコノミスト・マスコミのほうが問題が多い

三橋氏は「日本は国民国家なのだから、国民にとって良い経済政策を行うべき。その点で、デフレは解消すべきだし、公共投資はすべきだし、TPPは大反対。なぜなら国民経済にマイナスになるから。」という主張は一貫している

結局、いろんな経済学者やエコノミストの本で、三橋氏や思想が似ている上念司氏、藤井聡氏、中野剛志氏に対する反論本を読んだが、
本来、批判するなら、きちんと例えば「三橋氏の主張で内需拡大すべきというが、グローバリズムのほうがGDPにプラスになる。」
といった建設的な反論をすべきなのに、一切そういう意見が出ない
結局、エコノミストや学者どもは「世界に打って出て競争力をつけるべき」とか「財政破たんするので公共投資は反対」「アベノミクスは古い」とかデータや反論根拠を示さず、情緒的な反論しかしない。非常に悪質だ
反論するなら、三橋氏の主張について、データを含めて批判検証して「こっちの方が良い」とか「それではプラスにならない」と言ってほしい。
日本のためになる対案すら出してこない
あと、日本の学者は、安易にグローバリズムが良いとか、日本は古いから、構造改革すれば日本は良くなる的な主張が多すぎる

いちおう経済学を学んだ身からすると、構造改革が進み過ぎた結果、雇用などが不安定になり収入も減ると、エッジワース均衡が成立しない(正確にいうと、マイナスの値で均衡となる)状況になるという分析が出ている。つまり、お金が無いので物が買いたくても、買いたい値段での折り合いがつかず均衡が成立しないという状況になる
お金があってモノがあれば、値段が決まるというけれど、そもそもの前提となる社会が不安定で需給が成立しなかったら経済が成り立たないってことを考えない学者が多すぎる


三橋に反論したり批判する学者どもは
「じゃあ日本はどうしたらよくなるのか?」とか
「日本国民はどうしたら幸せになるのか?」っていう対案を出さない。驚くほど見たことが無い。
ただの批判じゃ意味が無い。



三橋氏もたまに議論や主張を強引に飛ばしすぎることがあるのは事実。
でも「日本が豊かになり、日本国民が幸せになるための政策」をきちんと主張する点で首尾一貫している。

対して、学者どもは、「効果が無い」「おかしい」と批判しながら「じゃあどうすれば日本が良くなるか」を語らない傍観者である、と私は思う。
(一応、私も、学者や官僚が卒業した大学で理論経済学を学んだ銀行員であり、実際の勉強からは離れて久しいけれど、かつて学んだ大学の同期や先輩後輩にも、官僚や研究者、テレビ局の海外特派員もいる。
やはり経済や法律を学んだ人間として、エコノミストや学者などは国民国家を考えて、日本国の発展に貢献するための知恵を出す責任があると思う)

三橋氏を色物扱いする以前に、日本人のエコノミストは質が低すぎる。バーナンキのように学者でありながら、政策担当者として責任を持って仕事をしている
批判されるべきはまず、日本の既存のマスコミやエコノミスト、学者どもである。

【追記】
きちんと自分の頭で考え、目で判断することは大事だと思う
原典やデータを淡々と読み解くことが必要だと思います

主義主張をきちんと偏りなく読むには、新自由主義のフリードマンから共産主義のマルクス、そしてケインズまでは、教科書でも良いからきちんと知っておくべき。

三橋氏は自身の著書で、基本的にデータを読み解いて今の日本の経済にとって最適な政策を主張をする、フリードマンやケインズなどの古典や理論も必要ならば参考にするが、一方でイデオロギー的な偏りは持たない的な主張をしているのは面白かった。(「反動世代」より)

【追加の追加】7月23日
下の方、お返事有難うございます。ご意見共感しております。
確かに素人兵法は危険ですね。自らも反省が必要です。
しかし、むしろ日本の学者先生やエコノミストのほうが問題があると思います。

さらに民主主義国家の中では、一般人が選挙で政治家を選ぶ以上、知識は必要だと思います。ある程度の経済や文化、歴史的背景を知らないといけません。北欧やドイツなどはその点、日本よりも成熟していると思います。
(民主主義という制度に問題があるかどうかという議論もあります。つまり、チャーチルの「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義 以外の全ての政治体制を除けばだが」と。あとB層とかC層とかいう議論もありますよね。

それらを踏まえてでも、「現状では日本は民主主義を採用している」のですから、主権者たる国民の責任は重く、相応の知識を持つことが必要だと感じます。そしてそれらの知識は専門的である必要はなく、伝統文化歴史や、基本的な政治経済、法律などの社会制度を学ぶことであり、欧米先進国では基礎教育で教えられてますけどね。)


結論として、酷いのが、マスコミが偏向報道を続け、エコノミスト、学者先生が国の文化や歴史を顧みず、グローバリズムや格差社会を容認していることです。有難そうに見せかけて、酷いことをやってます。三橋氏の存在意義を問う前に、まず、そっちの方が悪質です。
つまり、民主主義を誤った一方的に偏った情報で操作しようとしているのが問題。

三橋氏の主張は、「国民国家なのだから国民の所得が上がることが重要だ」「日本にとって良い施策の提示したい」「日本経済の現状を根拠データを示している」点で評価できると思います。(粗っぽい部分もあるが、議論のベクトル・方向性は間違ってない。)
私が読む限り、反三橋の学者先生は細かい指摘をするけれど、単なる揚げ足取りに終始して、方向性は提示できていないと思う。

ケインズの指摘通り、経済学者の力は、なるほど強いものです。竹中平蔵氏しかり。
でも、だからこそ責任重大であるにもかかわらず、日本の学者先生は経世済民・クールマインドワームハートの理念や哲学が乏しいと思いますし、彼らは『力ある者として責任を果たしている』とは思えません。自分たちは社会的強者で日本がつぶれても食っていけると思っているのでしょうか?

私は、日本の元凶は、まずもって、このような知識層の怠慢、マスコミの偏向報道、戦後教育だと思います。
一方で、三橋氏は、荒っぽい議論やポジショントークはあるけれど、国益を考えた発言をしている点がブレておらず、真っ当だと思います。
こういうことを言うと保守だと言いますが、私は保守です。逆に、日本人ほど歴史文化伝統を大事にする保守主義が軽視されている国はありません。自虐的です。(アメリカだろうがヨーロッパだろうが、アラブ諸国だろうが、イスラエルだろうが、中国、朝鮮だろうが、日本より愛国的です。「自虐的なのがクールだ」と思うのは大きな間違いです。国民自身が国家の当事者だよ!と思う。)

【追記3】25日
お返事有難うございます。
結局、誘導があるかどうか、と問われると、「誘導はある」と答えざるを得ないでしょうね。これは仕方ないことです。
しかし、だからと言って「間違った歴史認識、経済認識、国家意識を誘導する行為」はダメだと思います。今のマスコミの偏向報道のように、それが判明しているのに、そこを見過ごす訳にはいかないと思うのです。だから理想主義でも、是々非々は必要です。それが100%実践できなくても、正しい姿を目指すのは尊いことです。

あと、読書は贅沢な趣味だと思いますし、学びの自由は個人に帰属します。
ただ、何度も言いますが、日本は知的水準が高い中で、吸収されるべき情報のうち、嘘情報がタレ流されているのは事実だと思います。日本人は東大早慶などを卒業して情報処理能力は高いのに、驚くほど歴史認識が無く、文化伝統を軽視したり、安易に構造改革を支持する人が多いと思います。
学ぶ自由があるけれど、いざ知識を吸収したい人には、公平な価値観や伝統知識など提供される必要はあるかと。それが出来ていない現状は、報道や教育の弊害だと思います。

老子は何度か読んでますが、私の頭では、難しくてわかりませんが、私の理解する老子は、むしろ『上に立つ人間ほど、自らの手柄を見せず奉仕の心を民を安んじること』『一般の民については、心を静かにして、たんたんと日々を大事に生きること。』を述べているという理解です。
その点で、「上に立つ人間のノーブレスオブリージュでいること」、そして「知識層はやはり正しく複合的な知的教養を持つこと」は必要だと思います。理想主義かもしれませんが・・・

一応今は、三橋氏の評価をする場所なので、話を戻すと、三橋氏はプラグマテズム的に「出来ること」「やるべきこと」「良いこと」などはやるべきという主張が一貫してる。
三橋批判の学者先生は「じゃあどうするべき」という国のビジョンや対案を出していない。有効な対案が出れば私は喜んで拝読しますが出てこない。浜矩子「アベノミクスは古い、財政出動は20世紀の政策」というイメージ論に終始。小幡積「デフレは悪ではない」と主張しますが、「デフレによる総需要低下を放置しても良いのか?それが本当に国民にとって良いと本気で思ってるのか?」と聞きたい。深尾光洋は「赤字が増えると財政破たんする」と断定し根拠を読むも腑に落ちる説明がなくガッカリ。八代や伊藤は、競争や市場に価値を置くが、「国家は市場だけで成立していない事」や「市場原理の弊害」についてはあまりにも楽天的。

質問した人からのコメント

2013/7/30 00:53:54

感謝 お二人ともありがとう。

ベストアンサー以外の回答

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ID非公開さん

編集あり2013/7/2516:34:55

評論家なんてやっている人はある意味みんな変わり者だと思いますけども(笑)「いろんな人から何言ってるんだよと笑われながら言われているのをよくみますが」という部分で私が思っていることを書こうと思います。

まず、経済学というのは色々な見方があります。経済学は経済学でしょと思う人もいると思いますけど(私もそうでした)、そうではありません。新古典派とかケインズ派とか、色々あります。

だからみんな言うことがばらばらだったりするわけです。

そうなると、あっちから見たらこっちは変わりもの、経済学が分かってないやつ、となりますが、こっちから見たら、あっちは変わり者、経済学が分かってないやつ、ということになります。

宗教の宗派とかそういうもののように考えると分かりやすいと思います。

で、政治というのはやっぱり利害が絡んだりするものですし、その人の世の中のあるべき姿というものがそれぞれ違いますから(だからこそ見解が違ってくるのでしょうが)敵対するわけです。そこから「自分は頭がいい」と思っている人たちのことですから、嘲笑しあったり、馬鹿だあほだ、と言ったり「お互い」しています。

政治評論の世界では、私が何百冊と読んできたり、記事なども読んできた経験からすると、ちょっと過激だったり、口汚い書き方、言い方をするのが通例となっています。そしてそれが直接的にも間接的にも「政治オタク」たちにうつったりする影響があるのかもしれません。知恵袋でも、政治ということと、そういう影響から、口汚い書き込みがあったりするのだろうと思います。

そういう事情があるわけです。三橋先生はケインズ派で、保守っぽい感じでしょうから(あんまり読んだことがないんですが)、それに批判的な「宗派」の人たちがあほだ、と言っているのでしょう。

それから気を付けなければいけない点ですが、そうやってプロの評論家とかを笑っているような、どこぞの素人たちも、どうせ経済学など分かりません。私も分かりませんが、彼らは自分がちょっと本をかじったりするだけで簡単に分かってる気になってしまうわけです。そして自分が読んでいる人の意見をそのまま持ってきて、分かったふりをして批判して楽しんでいるわけです。そういう人のほうが多いでしょう。

世の中というのはそんなものだと思います。私は素人の書き込みなど一切信じないようにしています。参考文献と、考え方だけ参考にします。でも参考文献などあげられる素人さえ大していないのです。本などみんな読まないからです。読まないような知識で構成された判断など、それだけの判断でしかありません。

補足:ただ私はふつう素人がそんな本とか大量に読んだり勉強したりなど出来ないので、そんなことはしなくてもいい、と思っています。そんなこと素人がみんなしだしたら余計景気が悪くなるよ、とか思ってしまいます。だからインテリ、エリートが悪い、と思うわけです。ケインズが『一般理論』に書いているように、経済学者というのは世間で思われているよりも強力な力を持っているのだ、と思います。

補足2:「マスコミが悪い」という場合、マスコミが悪いから国民が悪いほうに誘導される、という感じだろうと思います。そして、マスコミがよければ、国民がいいほうに誘導される、ということだろうと思います。どちらも決して「理解」ではなく「誘導」なわけです。

私は、確かに知識人たちのデモクラシーでは国民の質が重要なんだ、というよくあるお説教は圧倒的に正しい、と思いますが、それは建前であって、そんな世界は訪れないし、無理だ、と思っています。

それは、それぞれみんな生活があるからです。例えば、9時帰宅のサラリーマンは12時までには3時間しかありません。土日は子供を遊園地に連れて行ったり、PTAの活動があったり、消防団に入っていたりもあるでしょう。何よりも生きていることを楽しまなければなりません。

読書というのは一つの趣味です。ですから、嫌な人は嫌なわけです。そして、読書なんかはカネが大してかかりません。そうなると、景気が本当によくなるのか、と疑問にも思っているところがあります。

私はデモクラシーというのは、教科書的には国民の質だ、というけれども、多分本当は、大衆が知識を持って考える賢い人になる(人間は知っていることで考えるのですから、知らないことが多ければ大した判断などできません)なんていうのは、おそらく不可能であり、実際は、「誘導ゲーム」というのが本当のところだろうと思います。

全ては「説得力」であり、理屈は経済学者や、インテリ、エリートから降りてきます。そのように今のところは考えています。

『心が安まる老子』という本に、国民の心をからっぽにして、食べるのに困らないようにする、というリーダーの心得が書いてありますが、これをいつも考えます。

愚民政策と違いがあるのか、と。今でもよく分かりません。

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