ここから本文です

織田信長(織田家)は「寄親寄子制度」してましたか?

yai********さん

2013/8/1721:42:49

織田信長(織田家)は「寄親寄子制度」してましたか?

「織田信長」は「寄親寄子制度」ではなかった!!と見聞きしました。

私は「織田家」関連の本で「与力」「与力大名」などの言葉を見ていたので
「織田信長(織田家)」も言葉は違えど「寄親寄子制度」と見ていたのですが・・・

正直「一次史料」などにはかっこたる文言も無いので
よく解りません。


織田信長(織田家)は「寄親寄子制度」だったのか
違うのか、お教えください。

補足「柴田、滝川、佐久間、明智、羽柴」などの織田信長の家臣の軍隊を
見ると、その地方の「国人、土豪、地侍」などを家臣化(寄子)にしており
「寄親寄子制度」に見えるのですが・・・やはり
「寄親寄子制度」と見て良いのですかね???

閲覧数:
418
回答数:
1

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

sto********さん

編集あり2013/8/1800:08:21

寄子・・・寄親の監視を受ける。(与力は軍監として宿老(取次)らの監視をおこなう。)
大名と主従関係がある場合(与力と同じ)もあれば寄親から領地を与えられる場合もあった。
簡単に説明すれば上記の通りで意味は異なります。
織田家で与力大名は別途に封じられていたので違うと思う(全部を確認したわけではないので推測ですが)
井沢、小和田氏らの信仰者と論じたくないので傍観中です。
補足
『寄親寄子制度』は寄親と寄子に主従関係はなく、しかも横並びでもない関係で戦国時代しか存在しなかった制度とされています。永久的に家臣化すれば寄子ではなくなります。
ポイントは。
寄親が自分の領地を寄子に与えたという事例があるかどうか。
一時的に部将の家臣となり、制度が解約され再び大名の家臣となった例があるか。
与力との違いは、この2点だと思います。(この2点を私は承知していないので別だと回答致しました)
身分制度ではなく一時的に軍役上で定めた制度ですが織田家の軍役状が残されていないのと、織田関連の書籍でこの語句を使用した例を私は承知しておりません。(探せばあるかもしれませんが)
その点与力は解りやすいですね。
織田家臣だが、宿将の指揮下に入る意味ですので。

質問した人からのコメント

2013/8/18 01:28:41

そうなのですね!!

織田家は急速な領土拡大をする過程で
そういった「法整備」が成されなかったのか、成される途中だったのか・・・。

ありがとうございます!

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる