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こんばんは 昨日の続きを、お願いしたいと思い、リクエストさせていただきまし...

mik********さん

2013/8/2720:13:12

こんばんは

昨日の続きを、お願いしたいと思い、リクエストさせていただきました。


心情を有機と捉えるなら、いかがでしょうか?

言わんとしていらっしゃる事は分かっているつもりでございます。

型を求める以上陥ってしまうのが、無機ということだと私は理解しております。

そこに崩れない美しさがある。とでもいえるでしょうか?

しかし、それほど自分と言う存在は凄いものではないと考えるのです。

私は、感情にぶれる事を嫌うのですが(日常において)

ですが、よく言われるのです。 事務的だ、機械的だと。 そういわれた時、苦しくあります。

ですから、無機という言葉に良い響きを感じません。

我々は常に変化し続け、変わり続けます。 有機の営みの中にあると感じております。

感情が全てであるとは申してはおりません。 しかしながら、無機ではないとお伝えしたいのです。
レクイエムにしても、ジュピターにしても、無機ではありませんよね。

その中に生命の躍動を感じる。 それが人間に置き換えれば心情となるものでしょう。

この心情一つをとっても、無機として、完成形のように捉えてしまう事よりも、その作り手の心が、どうあったのかと考えてしまうのです。

それこそが、何世紀を超えてもなお、現在に生を受けた我々の中に、変わらぬモノとしてあり続けるものでしょう。

どう思われるでしょうか?

形を求めてしまう気持ちも、またそうあるべきとも思うのです。 しかしながら、有機とは切っても切り離せない存在として

無機が存在しているのだと考えております。

話が通じない。またそう言われてしまいそうですが、どうお考えになるのか是非お聞かせいただきたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

http://www.youtube.com/watch?v=_Qe2kihSd7Q
http://www.youtube.com/watch?v=hzMTMffPlUw

※宗教音楽は個人的に好きなんです。 人間の娯楽としての楽しみではないと感じておりますので。

流転し続けるのが人だと思うのです。

補足芸術に感性はないのですから、無機など御座いませんわ ♪(❀◕ω◕)ノ

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ベストアンサーに選ばれた回答

RainDropさん

2013/8/2722:39:32

人の思いはいつも揺れ流れ、定型なく、有機物的であるでしょう。

そんな心情が「散々」という状態に対して無機的という言葉を用いたとき、それほど厳密に定義していませんでしたので、別の方向から書いてみます。

夕焼け小焼けの赤とんぼ、負われて見たのはいつの日か

あるいは、幼子は、だだをこねて泣いていたのかもしれません。幼子はあやされて負われていたのかもしれません。

心情の中に泣きわめき、しかし、ふと見ると、山々の姿がシルエットとなった夕焼け空には、赤とんぼ。
幼子が、ふと泣き止む瞬間。
自分という定型なきものはただ散々に乱れ、しかし、眼前にある現象というもの。
夕焼け空も、赤とんぼも、自分がそこにいなくてもあるものなのです。

自分という定型なき心情は「散るもの」であり、しかしそれが散れば、そこにあるのは「だだをこねて泣いた幼子が見た、夕焼け空と赤とんぼ」だと思うのです。
「自分がいなくてもあるもの」は、いつでもそこにあるのです。

それを無機質とも言えるクールな演奏として書き、つまり、「散々」とは別の世界がそこにあるというつもりで書いたのです。

演奏者の深い心情のうねりを感じさせるものは過去のものとなり、現代においては、無機質とも思えるクールな演奏が主流になりつつあり、しかしそこには独特の美しさもある、それは自分が泣くことへの意志なのではなく、そこで見た夕焼け小焼け、赤とんぼの描写なのだろうと思うのです。

↓再掲です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411246437...

宗教音楽は祈りから発し、中世時代以前に、「歌は祈りであった、祈りは歌であった」という言葉が残されています。
そのとおりだろうと思います。
http://www.youtube.com/watch?v=QpGbTlmDluE

質問した人からのコメント

2013/8/28 07:52:45

とても素敵な御回答いただき、誠に有難うございます。別IDにて補足を入れさせていただいております。お時間の宜しい時に、お読みいただければ幸いです。 私、もっともっと沢山学ばなければいけません。 ヽ(。♋ฺ∀♋ฺ。) ノ

ベストアンサー以外の回答

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mik********さん

2013/8/2807:42:34

おはようございます。

一昨日から、こちら近畿地方では、随分冷えるようになりました。
涼しいという感覚より、肌寒い、冷えるという言葉の方が似合うほどに。
そちらは、今年は涼しく過ごしやすくあった事だろうと思います。
昔から、こう言いますよね。 暑さ寒さも彼岸まで。

日本の情緒豊かな曲は好きです。
今回、涙さんが書きつづられたように、夕焼けこやけの~には、大人になっても涙するものです。
なにかしら思い出があるわけでもなく、その日一日の頑張った自分の心情と重なってしまうのだと思います。
そうして、夕焼けに思いをはせてしまう。

日が堕ちるまでの、空の色は美しく、その日一日の栄光をたたえているような感じを覚えたりもします。
時として、ふがいない自分の心情と重なり、夕焼けに悲しさを覚えてしまう時もあります。

日が落ち、夜の闇が迫るころ、東の空にはお月さまが現れ、美しく輝いています。
一日の慰めのように。 なぜか私は、お月さまに包み込まれるような気になるのです。
月光によって、優しく包み込まれる。 その輝きに魅了されてしまう時もあります。

一日の朝は、太陽の輝きと共に。 一日の終わりには夕陽と共に。 夜の闇にはお月さまと星々の輝きと共に。

そして、日本の四季と共に広がり、奥行きを感じさせる、日本の情緒。

無機的な礼儀作法の中に、日本人は忍ぶ思い、真心と言うのを見出したのかも知れませんね。(最も死生観があってこそですが)

それが、自然と、周りとの共存であり、調和と言う姿勢を生みだしたのだと思います。

さらに、その忍ぶ心と共にある楽の音。 こういう観点からも、私は日本の音楽は好きです。 とても好きです。

家では、自分の思いそのものを語る事を禁じられるのは、日本の掟なのかもしれません。

そうでなくても、上下間において、思いを語る事は厳禁とされるのでしょう。

この無機的であり、冷たいとさえ感じる家の中の情事というのは、一人一人奥行き、広がりある心があるのだと思います。

最後には、喜びを与えさせるものとしてあるのですから。(最近では、これを機械的と言う風に捉えられる方も実に多い事で、凄く残念に思っております。)

武士が武士として、一生を終えるのは憧れであり、武家の妻としてあるならば、そのように。

娘として生まれたなら、そのような終わりを望む。 これが当たり前の事であり、人間としては幸せというものの一つの形であると私は考えてしまいます。

今日では、そのような格式というのも、ほんの一部。 それら以外は、それこそ自由というものを求めているでしょう。

私の考えの自由というのは、ごく狭いものです。 その中で生きて、生かされている事、そのものが自由であるのです。

家がどう、門地がどうと問うものではございません。 その中で、人は限りなく自由の中に美を求めて生きる事ができる。

最大に美しく輝きある人生だと思っております。

音楽の中に、私の心ありかと思えば、自分の心と何が繋がっているのかと、なぜ、その音楽が好きなのかと自分の中をまさぐる事も好きです。

読書にしろ、美しいと感じる文体、その内容等、様々探してみる事も面白いと感じております。
その中にしか、自分を観る事は出来ないと思うほどです。

しかし、その対象が無機というクールさは、涙さんのようにはとてもではございませんが、私には出来ません。
その無機的な中にすら、有機的なものを感じているのですから。

人の思いと言うのは、文字となり、音楽となり、芸術となり、その心と心が触れあった瞬間、私は喜びを隠せません。

あまりにも、クールな表現で、戸惑ってしまいました。☀ヽ(◕ω ◕`ヽ)♪

心の中で感じた情景を、思考し、それを表そうとするのは、大変気持ちがいいです。 出来る限り美しい描写でというのも個人の一つの欲求であるのでしょうね。

話は少し変わります。井上靖氏の中に、現実的な井上氏、情緒豊かな井上氏が存在します。 それを感じた瞬間、無機的な冷たさと、人間的なものを感じました。

それは、その人の魅力だとも思います。 男性とは、こうなのかもしれないなとも思ったりするのです。(苦笑

mik********さん

編集あり2013/8/2807:50:01


最近、ここで一人の方を追っているのです。 自分の中の感覚を探り、それを知識によって肯定されていらっしゃる。しかし、一つ盲点と言いますか、少々自分に取りつかれていらっしゃるのです。 ”今”に特化してしまっていると言うのでしょうか?きっとそれだけの感性が御有りなのですから、文学的な表現を出されれば、とっても素敵な方となる事と思っております。

私の中では、感性として捉え、それを感じ、思い、考え形として出していく際に、明らかに語彙が足りません。

この質問も、これほど重複させずに済むのだなとも思っているのです。(一回で終わっても本当は良かったと思っております。)

あえて確かめたかったという自己の欲求に負けました。

ご親切に、ご回答頂き誠に有難うございます。

余談:本を読んでいる際にも、私は探し続けています。 自分の内をまさぐりながら。
私が感じる美しさ、そして心が澄み渡るような本を。 そこに涙あり、苦あり、喜びあり。 美しい言葉の数々を。
仕入れて転用する際には、ほんのちょっぴり私を注いで、いつしか綴れるようになればと思っております。

今回は、涙さんの内情の豊かさ、素晴らしさが、よく伝わってきました。 大変勉強させていただきました。
本当に有難うございました。

そうそう、グー吉さんに。 以前私が、涙さんを死神と呼ばれる事に酷く胸を痛めてしまい、それで言わずにおれなかったのですが、それはそれで、きっとお二人にとっては愛称なのでしょうね。 あの時は、ごめんなさい。
そして、変えてくださって有難うございます。
私としては、とっても嬉しかったです。 ♥━━(✿╹◡╹)人(╹◡╹✿)━━♪ :*:☆ ありがとう♡

http://www.youtube.com/watch?v=GDRQp52zLgo

折角回答頂いたのに、申し訳ございません。 上に乗っかってしまいました。 大変失礼いたしました。

今日も、一日お健やかに。

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