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バルカン半島は何でヨーロッパの火薬庫と呼ばれたのですか?

par********さん

2013/9/2409:26:37

バルカン半島は何でヨーロッパの火薬庫と呼ばれたのですか?

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sch********さん

編集あり2013/9/3004:51:23

ひとつには、バルカン半島には主導権を握るだけの民族がなく細分化されていることが理由です。
近代に入ると西ヨーロッパの影響で民族自決の機運が高まりました。
しかし、近年ユーゴスラビィアがスロバニア・クロアチアなどに細かく分裂しても、なお居住区が入り乱れて戦争が起きたように、民族ごとに国の境界線をひくことはできません。
また、複数の民族がまとまって一つの国を作ろうにも少数民族は当然拒否します。
結局、常に紛争が燻り続けることから言われるようになりました。

次に、周囲の大国の陣取りゲームがあります。
元々は多くがトルコの支配下にあったバルカン半島において、トルコの支配力低下と共に国民国家の概念がもたらされ、ギリシア正教やスラヴ民族主義の関係を利用してロシア帝国がこの地域へ勢力を伸ばそうとしたことで、ロシアとオーストリア、トルコの対立が先鋭化します。
1908年には青年トルコ党の革命によってトルコで「汎トルコ主義」(トルコ系の民族でデカい国作ろうぜ思想)が推進され、他方「汎ゲルマン主義」」(ゲルマン系の民族でデカい国作ろうぜ思想)のオーストリアがセルビア系住民の多いボスニア・ ヘルツェゴヴィナを併合し、これに反発したバルカン諸国がロシア帝国の後ろ盾で「バルカン同盟」を結成し、トルコと戦争を開始します。
1912年に始まったこのバルカン戦争にはギリシアもブルガリアも参加し、1913年にはロンドン講和会議で戦争は終結しましたが、火種は残ったままとなったのです。

民族で細分化されたバルカン半島が細かい紛争で燻る一方、あるときいずれかの大国が全てを飲み込んで欧州のパワーバランスが崩れかねない。ゆえに「ヨーロッパの火薬庫」なのです。

質問した人からのコメント

2013/9/30 21:36:46

降参 皆さん、ありがとうございました。

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xyd********さん

2013/9/2414:43:47

あそこで揉め事が起こると、当時の五大国(英・仏・露・独・墺)間での戦争に発展しかねない国際情勢だったから。

beg********さん

2013/9/2409:58:47

オーストリアの皇太子がセルビアの青年に暗殺されたのを契機に第一次世界大戦が始まったのが象徴的ですが、現在のチェチェン紛争など多民族が入り混じるバルカン半島は昔から紛争の絶えない所から呼ばれました。

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