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居延城の歴史について概説でも良いので何か知っていることがありましたら教えて下...

hyq********さん

2013/10/1011:51:46

居延城の歴史について概説でも良いので何か知っていることがありましたら教えて下さい。居延城は、張掖都尉が治めていたのでしょうか。

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tak********さん

編集あり2013/10/1102:24:57

籾山明『漢帝国と辺境社会 長城の風景』(中公新書、1999)をオススメします。参考文献も丁寧にあり、図や出土物の写真も豊富でたいへん理解しやすいです。
「居延沢」に至るエチナ河流域の地形、防衛体制(部都尉-候官-部-隧)、治所の構造、兵士の勤務・日常などを詳しく説明しています。
以下は専門外の勝手な見解です。
居延「城」ということなので、部都尉の治所でしょう。居延部という管轄区域もあります。最初に管轄区分を説明すると、敵の侵入を監視する詰所が「隧」、いくつかの「隧」を集めたグループが「部」といいます。その「部」を統括するのが「候官」です。さらにいくつかの「候官」を統括するのが「部都尉」となります。同じ「部」と呼ばれるので紛らわしいです。
居延部ではありませんが、治所の規模としては部都尉の「城」が一辺数百メートル、候官の「障」が一辺数十メートル規模になります。
部都尉と郡太守との間に上下の関係があるか否か。あるとして、「居延沢」の位置からすれば、酒泉太守ではないかと思います。ちょうど酒泉郡の東西から北大河、黒河が北流し、途中から合流しエチナ河となり、さらに2つに分かれて湖となります。この2つの湖のオアシス地帯を「居延沢」といいます。現在は枯渇しています。

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