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信者は、ものみの塔協会の節操のなさになぜついていける?

bir********さん

2013/10/2709:35:43

信者は、ものみの塔協会の節操のなさになぜついていける?

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411547435...

私が子どもの頃、運動会の国旗掲揚時に一人だけ座っている子がいた。
はじめは気分でも悪いのかと思っていたが、練習中や予行練習でもそうだったので、何か理由があると気がついた。

運動会以外でも式典の際の、「起立」、「一同礼」の時にもその子は号令に従うことがなかった。
あるとき、「○○は国旗掲揚のとき何で座ってるんだ?」と聞いてみた。

彼は自分がエホバ教徒であることと、エホバ教徒の教えでは偶像、象徴、シンボル等の物に対して敬意を払うような行為をしてはならないと教えられておりそれに従っていると話してくれた。

子ども心に「そんな小難しい哲学に共感して行動してるなんて、なんてしっかりしたヤツなんだろう。」っていうわけのわからん感動を覚えたものである。

だが、最近のものみの塔誌ではまたこれも解釈が違ってきてるらしい。

「国旗を窓枠に掲揚しないと罰金を払わされるような法律?がある場合は、上位の権威に服すために窓枠に国旗をかざってもいい。」んだとw
ほんとしょうちゅう教義を変えてくるえーかげんな団体なんだね。

この論理で行くと、日本では1999年から国旗及び国歌に関する法律が施行されてるから上位の権威に服すために国旗掲揚と国歌斉唱の行為に子ども達は従わなきゃならんはずだよなw
私が子どもの頃に聞いた話と違うしそんなこと聞いたことがないんだが、今のエホバ教徒の子弟は、国旗掲揚と国歌斉唱をすすんで行うよう集会で教育されてるのかい?

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sec********さん

2013/10/2717:18:45

議論からいえることはエホバの教義は信者の恣意的な解釈を組織防衛のため許すのでしょう。まさに神権的戦術です。
信者という自己欺瞞に注意するしかありません。私はあきれました。

マイコンされたなれの果てですが、「お助けください日蓮の御坊」とすがっているようにも見えてあわれです。

質問した人からのコメント

2013/11/1 23:17:39

感謝 わたしもあきれましたw確固たる信仰とかいっときながら、所詮は日本の信者ならば福沢センセイ数人でに蹴散らされてしまう程度の信仰しかねーってことですわいなあwww

ベストアンサー以外の回答

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uhi********さん

編集あり2013/10/2900:09:37

「パレードによって尊ばれるものを支持することになるので,真のクリスチャンは良心的に拒否します。」

パレードの行為が、「尊ばれるものを支持すること」になるからクリスチャンの良心に反するんですよね。つまり尊ばれることを支持することになる行為がダメなんですよね。

崇拝しているつもりはなくとも、この日に掲げるということは、尊ばれることを支持すること、これは含まれないですか?てか崇拝行為に加担していることになるのではないですか。

独立記念日に一般施設に掲揚している場所に行くことに問題はないでしょう。信者が揚げてるわけでもないですから。しかし王国会館に掲揚してるってことは、エホバの証人自身が、尊ばれるもの(国旗)を支持しているってことになると思いますが。
それを、宣伝してるようなもんじゃないですか。」

パレードに参加することが義務化されたら、上位の権威に従うんだね、Utlightさんは。笑



エホバの証人、あんたらは他の教理に目を向けさせて、理屈をこねて根本的な原則を無視して、批判者の批判をかわすのに必死なだけだわ。

ーーーーーーーー

utlightさん

「「行進の際,あるいは教室内か他の場所で,国旗敬礼は求められなくても,他の人たちが敬礼できるように,ただ国旗を持つことを頼まれたらどうでしょうか。それは,聖書が命じるとおり『偶像礼拝から逃げ去る』ことになるどころか,実際には儀式のまさに中心にいることになります。」

チリの会衆は、王国会館に国旗を「持たせて」、他の人たちが、国旗に敬意と、時には敬礼できるようにしたんでしょうか。それマズくないですかね。

追記

「例えば,雇い主から建物に掲げる旗の揚げ降ろしを頼まれるかもしれません。それを行なうかどうかは,当人が状況をどう見るかによります。旗の揚げ降ろしが特別な儀式の一部で,人々が気をつけの姿勢を取ったり旗に敬礼したりするのであれば,旗を揚げるにしても降ろすにしても儀式に参加していることになります。」塔

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130919/trd13091914300013-n1.htm
「チリでは至るところに国旗が掲揚されていました。これは9月18日の独立記念日を祝うためのもので、チリの皆さんがこの日をいかに大事に思っているかが伝わってきました。」

誕生日は祝わないのに、独立記念日は祝うんですか?

------
utlightさん、独立記念日という第祝賀日の日、誰もが国旗を揚げ祝う日に国旗を王国会館に揚げることは、トイレに行く間ちょっとこの旗持っておいてというくらいの軽いものですか?
この日に国旗を掲げることは特に祝うために掲げられているんですよ?だから国が国旗をこの日に揚げることを義務化してるんですよ。祝うためですよ?この日に国旗を揚げることを「ちょっとトイレに行く間あづかる」と重ねるというのはかなり強引では?


「愛国主義的なパレードに加わって行進する場合も同じです。それは,パレードによって尊ばれるものを支持することになるので,真のクリスチャンは良心的に拒否します。」

愛国主義的な独立記念に、国旗を掲揚するよう求められていて、実際に国旗を掲揚していたら、それは掲揚することによって尊ばれるものを支持していることになりませんか。

も一つ
クリスマスにクリスマスおめでとうって書いたクリスマスケーキ食べる人はいないと思いますが、次の日だったら食べる人もいるかもしれません、食べ物だから。だったら、独立記念日に国旗を掲揚するのは、クリスマスにクリスマスケーキを食べるのと同じじゃないですか?

\\\

あなたはどうしても上位の権威に従っているということに結び付けたいんですか?
他の方も言っているように、上位の権威の方が、エホバより上ってことですか?
独立記念日に国旗を揚げることが、崇拝ではないのかと僕は言ってるんです。わかります?で、長老に聞いてもらえました?

メリークリスマスの方が良かったですかね?何で学校限定・・・クリスマスにエホ以外の人からケーキを勧められるという設定で。こんなに細かく書かなきゃ、こっちの伝えたいことわからんのかね。
例えとして言ってるんですよ。この場合クリスマスが独立記念日、あ、誕生日でもいいや、またつっこまれそうだから。クリスマスケーキ、誕生日ケーキが国旗、ケーキを食べることが国旗掲揚。分かりました?

国旗を揚げること自体は、状況によってダメかOKかあるでしょう。しかし、独立記念日に国旗掲揚をすることがどうかと聞いてるんです。これが崇拝に当るのではと。それは上位の権威がどうのとか言う前に考えなければならんことでしょうが。

あなたは崇拝が何らかの式や状況等でその場にいて、偶像に頭を下げるとか、偶像に注視するとかの行為をすることだと言われてますが、独立記念日に国旗を掲揚することもこの行為にあたるのではないかと問うてるんです。

mut********さん

2013/10/2804:55:32

いいえーーーー

「飾る」に理由がひとつしかないということではないということですよ。また、旗そのものも意味がひとつだけ(偶像、象徴、シンボル)ではないということですよ。だから「旗を飾る」と「旗を崇拝に使う」がわけて考えられるのです。

敬意を払うような行為には「踏みつけない」も入るのですよ。これは証人でない人も普通に行えますよね。

これがhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411547435...にもあったのですよ。

hei********さん

2013/10/2800:37:09

要するにお金を払わなければいけない状況になれば上位の権威が神の権威より優先すると言う事ではないですか?

今回の[神権的前略]の使い方は、そんなに遠くない気がする。⇒また、新しい言葉を言い始めた信者がいるけど、組織擁護をするためであれば、何でも話を作るんだね。聖書ではそんな事一言も言っていないんですが、何が言いたいんだろう。前略とは何?神の言葉を解釈するのに、状況によって但し書きを付け加えると言う事?

niw********さん

2013/10/2719:53:26

× しょうちゅう
○ しょっちゅう

utl********さん

編集あり2013/10/2822:26:28

witness3rさん、こういうことです。

マルコ12:17
『カエサルのものはカエサルに、
神のものは神に返しなさい。』

税金と同じ考え方です。
チリにおいて独立記念日に国旗を掲揚するのは、
納税と同じ国民への義務だったのです。
国は義務という形で国旗を掲揚させることは出来ても、
エホバの証人の心まで向けさせることはできませんでした。
その証拠に、義務でなくなったと同時に、
国旗の掲揚をしなくなったのです。


―――――
uhiuhi9898さん(前回の質問者さんでしょうか)、
文字数がいっぱいで、書ききれなくてすみません。

例をあげます。

学生時代、このような校則がありましたよね。
「登校時には必ず校章をつけなければいけない。」
校章というのは、学校のシンボルです。
校章をつけずに登校すると、校則違反で叱られます。
入学式や卒業式など学校で特別な行事の前日は、
絶対に忘れないように念を押されます。
エホバの証人も校章をつけて登校することは拒否しません。
校則ですから従います。
校章を付けているからと言って、
その学生がシンボルに敬意を払っている、
もしくは敬意を払うよう助長しているとは見なされません。


しかし、同じ学校のシンボルである校旗掲揚の際の儀式は拒否します。
国旗・校旗掲揚の儀式が始まるときに、こういう号令がかかります。
「国旗・校旗に注目!」
で、国旗・校旗が揚がるのをずっと目をそらさず見ないといけないんですよね?
これが、崇拝行為に当たるんです。

この質問のご質問者様がこのように書かれています。
「彼は自分がエホバ教徒であることと、エホバ教徒の教えでは偶像、象徴、シンボル等の物に対して敬意を払うような行為をしてはならないと教えられておりそれに従っていると話してくれた。」

この通りなんです。

シンボルである校章を付けること自体は、崇拝行為とは見ていません。
しかし、シンボルに対して敬意を払うような行為、
つまり、国旗・校旗に注目すること、または敬礼することは、
崇拝行為と見なしています。

ちなみに、パレードに参加することも、祝う行為ですから、
崇拝行為に加担していると見なしています。

ただし、パレードの旗持ちさんから、
「トイレに行ってる間だけちょっと持ってて」
と頼まれて持ってても、当然ながら別に崇拝行為にはあたりません。

これを、今回のチリの一件にあてはめてみてください。

-----
>utlightさん、独立記念日という第祝賀日の日、誰もが国旗を揚げ祝う日に国旗を王国会館に揚げることは、トイレに行く間ちょっとこの旗持っておいてというくらいの軽いものですか?

そこじゃありません!そこは無視していただいてかまいません。
(ま、私も余計なこと書いたのかもしれませんけど)


「国から課された義務として国旗を飾ること」
と同様の例として、
「校則で校章を付けること」
をあげています。


あと、この場合の「敬意を払う」は、
あくまでも崇拝対象となりうるシンボル等に関してであって、
対人関係上のマナーとしての「敬意を払う」とは違いますからね。
目上の人に敬意を払う、などは崇拝行為ではありませんからね。
念のため。

クリスマスケーキは学校の給食で出ましたよ。
クリスマスおめでとう、とかは書いてなかったです。
ショートケーキにチェリーだったかイチゴだったかが
のっかってましたね。
クリスマスを祝う気なんてさらさらないですけど。

どういう理論でクリスマスケーキとチリの一件が同じとおっしゃる?
さっぱりわかりません。
別にクリスマスケーキの件は解説してくださらなくてもいいです。

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