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中華民国を作った孫文は日本名を「中山 樵 (なかやま きこり)」 と名乗っていま...

クロ猫(予備)さん

2013/11/2820:10:30

中華民国を作った孫文は日本名を「中山 樵 (なかやま きこり)」
と名乗っています。なぜ何ですか?

補足孫文って日本が日本が好きだったのですか?
私の和歌山に南方熊楠という博物学者がいます。
この人はイギリスに留学する際、孫文と出会い
友好的な関係になって文通相手になっています。
もし孫文が日本が好きでなければ、
南方熊楠と友人関係にはなっていないです。

孫文,なかやま,中華民国,きこり,日本名,中山忠能,南方熊楠

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ベストアンサーに選ばれた回答

ナイト67さん

編集あり2013/11/2913:32:51

孫文は日本に亡命していた時期がありましたが、日比谷にも住んでいたそうです。
その当時にこの辺りには明治天皇の外祖父だった中山忠能の邸宅があり、表札の「中山」という文字を気に入った為に姓を中山としたとされます。
また、「樵」という名は自らが「中国の山樵である」という意思からのネーミングとされています。
これには「黙々と仕事をするきこりのように革命に邁進したい」という意味と「学の無いつまらない人間」という謙遜の意味とがあったのではないかと云われています。
人から「日本人の名前としては変だよ」とからかわれると笑っていたようですが、多少の遊び心やユーモアでもあったかもしれませんね。

「孫中山」という号としても使っており、「国父」として崇敬されている台湾にも「中山」と付く道路や公園や施設などが沢山あります。

補足:孫文は革命家として日本の明治維新を念頭に置き、当時の日本人の感覚や思想に影響を受けていたと思います。
特に日露戦争での日本の勝利とそれが世界に与えた影響は孫文にとっても大きな指針となったとされます。
亡命中も革命活動を行っている間でも、日本人との親交は多くあり数々の援助も受けていますし、日本女性と結婚もしています。
ただ、世界各国で孫文は交友関係を作り支援を受ける事もあったので、日本が好きか嫌いかというより「大アジア主義」、「汎アジア主義」という思想を介して孫文と日本人達は共感し交流をしたという事になると思います。
その中には南方熊楠のように個人的な交流もあったという事ではないでしょうか?
ともかく、個人的な感情としての親日というよりは「革命によって近代国家を創った日本と日本人」を目標とし敬意と興味をもって接していたという方が正確かと思います。

質問した人からのコメント

2013/11/29 15:25:40

降参 孫文は私が尊敬している人物の一人です。
他にはインド独立の父ガンディーと台湾の元総統の李登輝さんです。

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