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「普天間のまわりは、昔は田んぼや畑だらけだった!!!!」とネットで書いている...

amz********さん

2013/12/2711:19:43

「普天間のまわりは、昔は田んぼや畑だらけだった!!!!」とネットで書いているひとたちが結構います。

彼らは、普天間からの移設は、日米両政府の方針ってことは分かった上で、普天間基地をそのままにすべきっていう立場なんですか?

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ram********さん

2013/12/2711:27:20

現在の普天間は、基地の城下町です。基地移転よりも、普天間基地の周囲1キロぐらいの住民を強制移住させた方が安く済むと思っています。それに、普天間基地の返還を受けて、公園にでもしたら、基地に関係した職員や家族が移住して、飲食店や商店などの経営が圧迫されることになるかと思います。

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syo********さん

2014/1/307:17:01

「普天間飛行場があった場所には集落などなかった、パイナップル畑やサトウキビ畑しかないところに基地を作った」というのは在沖海兵隊司令官の数年前の発言だったと思います。その発言が独り歩きし「普天間基地が先で、住民が後」という主張がされているのが最近の状況だと思います。彼らの主張を整理すると、

①基地はそもそも何もない場所に造られた
②基地ができた後、住民たちがわざわざその周辺に住みつき、いつしか騒音や事故の危険性を訴えるようになった。
③このため日米両政府が話し合い、普天間飛行場をそれこそ誰もいない名護市辺野古の海上へ移転させることを決定した。しかし反対運動が激化して今なお実現することができず、なお流動的である。
④なので基地が引っ越すのではなく、周辺住民が引っ越せばいい、という主張が出てきた。そもそも彼らは基地ができた後にやってきたのであって、彼らが別の場所に移れば普天間飛行場を移転する必要性がなくなる。

この点について沖縄戦直前の米軍による航空写真と大正9年の日本陸軍測量部による地図で確認したところ、現在の普天間飛行場の誘導路に当たるところには首里城から普天間神宮に至る「宜野湾街道」が横断し、その街道を中心軸に集落が広がっていました。ちょうどMV-22が駐機している場所は宜野湾村役場と国民学校があった場所です。つまり普天間基地は「何もない場所」に作られたのではなく、むしろ村を丸ごと飲み込んで作った、というのが正解です。

戦争を境に新たな飛行場用地として米軍に接収され、還る場所を失った住民たちはやむなくわずかに残った自分たちの村の土地に新たな集落を作り、現在に至ります。何の補償や代替地の用意もなく住処を失った彼らに、別の場所、つまり他人の土地に移り住む資金は当然ありません。

「基地の前は何もなかった」というのは史実に基づかない誤りの認識であり、土地への愛着が強い地元の人間を傷つけることになっているのではないか、と考えています。

私は在日米軍の存在意義や、米軍が沖縄に基地を必要としている理由について理解しているつもりですが、しかし誤った認識があっては進む議論も進みません。基地の賛成反対どちらの主張も聞いていますが、現地に住んでいる身としては違和感のある認識も少なからず感じます。マスコミなり専門家なり、その部分を丁寧にひも解いて議論を引導する役割があるはずなのですが、それが機能していない現状にはうんざりしますね。

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