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信長が天下統一の目前まで行けたのは、実力よりも運的な要素が大きいですか?例え...

teg********さん

2014/1/2919:01:40

信長が天下統一の目前まで行けたのは、実力よりも運的な要素が大きいですか?例えば、信長が東北や九州の僻地の大名だった場合、あそこまで勢力を拡大するのは、 無理だったでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

2014/1/2919:19:16

貫高とか石盛の実態と言った細かい話は横に置いといて、

尾張とか甲斐とかの国よりも、平野や盆地で見るとわかりやすい。

武田信玄が20万石レベルの甲府盆地からスタートして、信州の10万石レベルの盆地の争奪戦を行っている時に、織田信長は、100万石レベルの濃尾平野の争奪戦を戦っていた。その後も50万石レベルの伊勢平野や70万?石レベルの近江盆地。
信長の戦いは、最初からハイリスク・ハイリターン。
その点は幸運。ただし、初期は生き残りが難しかったろう。ハイリスクだった。

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kn3********さん

編集あり2014/2/119:03:17

運で勝てるのはせいぜい1~2回です。
信長の危機は、尾張国内の統一戦だけでも数回に及びます。

例えば、信勝(信行)の反乱時は、戦経験の少ない信長の兵力700、信勝側は、戦に強かった父信秀の両腕ともいえる柴田、林の経験豊富な重臣率いる1700。
並みの武将なら、兵力差、経験差から考えて、勝つどころか生き残る事も不可能です。

どれほど厳しい戦かというと、家督相続直後の武田晴信(信玄)が兵700を率いて、馬場信春、内藤 昌豊率いる1700と戦うようなものです。

信長の主家に当たる、清州織田家も、尾張のもう半分を治めていた、岩倉織田家も、弟側の信勝についた勢力もいずれも信長より優勢な勢力です。

また、保有兵力1千未満にたいして、東の今川家は数万の動員兵力を擁し、北の斉藤家も1万数千の動員兵力を誇って尾張を虎視眈々と狙う状況。

よく、信長は立地が良かったからとか、運が良かったから成り上がったと言われますが、運ごときで挽回できるような生易しい状況では無いですね。
運で成り上がったと言うのなら、信長は宝くじ1等を5回くらい取れるほどの運を持っていたと言っているようなものです。


それと、多分僻地でも勢力を伸ばしたでしょう。
信長は最初から優位な地点を押さえていたわけでは無く、戦略的に重要な地点を効率よく切り取り、さらにそれらを生かすよう拠点を移動しながら勢力を伸ばしました。
おそらく、どこで初めても最大勢力となったでしょう。

blo********さん

2014/1/2920:46:34

やはり信長は強運を持っていたの一言に尽きると思います。

歴史にもしもは、禁物ですが、
雨が降らなかったら今川は気付いていたかも知れないし、
すぐ横が武田領だったら上杉同様動けなかったと思われます。

そう考えると本能寺では運が尽きてしまったのですかね。

2014/1/2919:55:36

司馬遼太郎先生寄りですが、
「天が選んだ男」
だったからでしょう。

幾多のピンチを切り抜けたのも、荒馴らしが過ぎ、天に不要とされ、葬られたのも。

生まれがプリンスで、嫡男だったからこそ、多少グレても、付いてくる家臣は、いました。

彼の人生は、華やかに彩られています。
天は、辺境の地など、彼に与えないと思います。
天のシナリオライターの実力です。

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