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秋の夕日に照る山、紅葉ですか? 秋の夕日に照る、山紅葉ですか?

lit********さん

2007/9/1123:14:39

秋の夕日に照る山、紅葉ですか?
秋の夕日に照る、山紅葉ですか?

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owa********さん

編集あり2007/9/1412:17:55

「秋の夕日に照る山、紅葉」だと思います。

夕陽に照らされて光ってみえるのは、山全体と考える方が自然に思えます。
僕たちが紅葉(こうよう)を見て綺麗だと思う時に、木の一本、一本を綺麗だと思うのではなく、
山全体が色とりどりに紅葉(こうよう)している様子を綺麗だと感じるのではないでしょうか。
したがって、夕日の染まる山のモミジではなく、夕日に染まる山が紅葉(こうよう)している、
そう解釈する方が自然ではないでしょうか。
モミジは木の名前ではなく、「こうよう」のことだと思います。“こうよう”を“もみじ”と言い換えることは実際によくあることです。
また、モミジだとすれば、歌詞の後半でカエデを特別扱いする理由が分からなくなります。

山紅葉(やまもみじ)という名前の木もあるようですが、これは関係ないと考えます。

*全面的に書き直しました。

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楽水さん

編集あり2007/9/1423:42:03

秋の夕日に 照る山もみじ
濃いも薄いも 数ある中に
松を彩る かえでや蔦は
山のふもとの すそ模様 の歌詞を私は次のように解釈していました。

秋の夕日が当たって色鮮やかに照り映えている「ヤマモミジ」
その「ヤマモミジ」には濃い色のもの、薄い色のもの、数々ある
松の緑色に美しい色を添えているカエデやツタは
着物のすそ模様のように美しいことだ。

「山もみじ」というのは作者高野辰之の造語かもしれません。
「山に生えている紅葉した木々」というだけの意味だと思います。

歌詞の2行目、「山」が「数ある」のではなくて、「もみじ」が「数ある」のですから、1行目で「夕日に照」っているのは「山」ではなく「もみじ」なのでしょう。

「照る山。もみじ」と解釈すると、
秋の夕日が当たって色鮮やかに照り映えている美しい山よ。そこにはもみじがあって・・・
は、変です。

(作曲についての部分を取り消しました。以下を書き足します。)
私は、日本語の修飾・被修飾関係をまず論じたかったのです。
「秋の夕日に 照る」と言葉を連ねていますが、「照る」は何を修飾するのでしょうか。「山」だけを修飾するなら、この歌の題名にもなっている「もみじ」があぶれてしまいます。やはり「照る」は「もみじ」を修飾していると考えるべきでしょう。そうすると「山」があぶれてしまいます。
(1) 「山」&「もみじ」の両方を修飾していると考える:秋の夕日が当たって色鮮やかに照り映えている山ともみじ→もみじは山を構成しているのだから、変です
(2) [山」も「もみじ」を修飾している:秋の夕日が当たって色鮮やかに照り映えている、そして山に生えている、もみじ→「照る」という動詞の連体形と、「山」という名詞が並列して名詞「もみじ」を修飾するのは変です。
(3) 「山もみじ」という名詞を修飾していると考える。→これしかない、と私は思います。

私も「もみじ」をモミジという種の植物だとは考えていません。あらゆる紅葉(紅だけでなく黄色になるものもあります)する植物の総称だと考えます.。「山もみじ」というのは「山に生えている紅葉した木々の総体」又は「さまざまの種類の紅葉した木々を擁している山全体」と解釈した方がいいかもしれません。

私の主張は、「照る」が「もみじ」を修飾するのだから、「照る山、もみじ」と歌ってはいけない。1箇所息継ぎをするのなら「照る、山もみじ」と歌うべきだ。ということです。
因みに、私は息継ぎ無しで歌います。

gur********さん

2007/9/1123:54:37

紅葉じゃないのかな?

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