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徳川家康の家臣、石川数正が徳川家を離れた後、徳川家は軍制を武田流に変えたと聞...

tas********さん

2014/4/2123:21:36

徳川家康の家臣、石川数正が徳川家を離れた後、徳川家は軍制を武田流に変えたと聞きました。

それまでの徳川家の軍事体制と何が変わったのでしょうか。

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pal********さん

2014/4/2200:02:46

石川数正がいた時の徳川家は独自の軍制を敷いていました。

石川数正が豊臣方に寝返ったのでそれを廃止して武田家の軍制に替えたのです。
合戦時の合図や隊列などを変えました。

また、大須賀康高、本多忠勝、榊原康政、井伊直政等の先手役出身者が徳川家の主要指揮官に名を連ねる事になります。

そして大番という役職が旗本の先手の役目を引き継ぎます。

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ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

2014/4/2206:19:30

徳川家独自のシステムをリークされることを恐れて、急遽武田式にしました。
ある程度新興大名とも言える徳川式の限界を感じていたこともあると思います。
「逃げられたきっかけ」かと。

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