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国民主権の意味がわかりません。 ちゃんと説明できる人います?

ayunosuke0311さん

2014/6/1820:37:53

国民主権の意味がわかりません。
ちゃんと説明できる人います?

主権って普通、国家主権をさしますよね。
国家に主権があることで、国家のしくみが維持され、国民にさまざまな権利を保障してくれています。
安全保障しかり、そのた基本的人権の保障も国家あってのものです。

日本国憲法を勉強すると国民主権というものがあって、それは天から与えられたもので、それを守るために国家の主権を国民が認めてる、そのような捉え方をしています。
つまり国家主権の出発は国民だということです。

実際そうなのでしょうか?

たとえば、戦争などがおき、国家の重要な司令塔である政府が麻痺した場合、主権者である国民はいったい何ができるのでしょうか?今の状況で第2次世界大戦のような状態になった場合や大災害で国家としての存続が危ぶまれた場合、主権の源泉である国民は国家の主権を発動するために何かできるのでしょうか?

実際、東日本大震災で政府は事実上、麻痺しました。
主権者である国民は、まったく対応できません。っていういか対応しようがありません。
政府が麻痺すれば終わりなのです。

このまったく具体性のない、国家として有害としか思えない概念がなぜ当たり前のようになっているのか。不思議でなりません。

国民主権で国民は守れない。そう思いますが、どうやったら守れるか教えてください。

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mosquit_milkさん

2014/6/1823:02:19

国民に主権があること、それが民主主義の第一歩です。
国に主権があり、国民に主権がない、ということは選挙で国民の代弁者たる議員を選ぶ必要性もありません。
国に主権があるから、国民の意見に耳を傾ける必要はない。
国が執行したい法を整備し、適用するだけ。
これは国が君主の側面を帯びていることになります。
君主は主権を持っているため、好きほうだやってきた歴史が西洋にあります。
君主のやりたい放題を規制するために、憲法の前身がイギリスで誕生しました。
権利の章典と呼ばれています。それがアメリカで憲法として誕生し、国民に主権がある、政府を選ぶ権利、また政府を解体する権利がある、と明記したのです。

もし、国家という大きな枠組みから見たのなら、国民主権はなくてもいい無用な長物です。
しかし、私達国民の目から見たら、国民主権はなくてはならない権利です。
その権利によって、国は国民によって監視されます。
法は法として機能し、国民の生活、財産や自由、言論の自由は守られます。

確かに国家があってやっと、国民の安全やその他の保障は得られます。
しかし国家があっても、国民がいなければ、その国家は存在しません。
国民は国家がなくても、存在して、生きていけます。
国家は国民がよりよい生活を送るために必要とした、一つの枠組みに過ぎません。
国家は食べ物や工業製品を生産しますか? 国家は戦場の前線で戦いますか?
いいえ。そのどれもしません。
生産するのは人の手です。戦場で戦うのも国民です。

東日本大震災のおり、政府は何もできませんでした。
しかし被災した人たちはどうでした?
彼らは少ない物資をやりくりし、また医者は患者の治療にあたりました。
また救援隊が来るまで、救援活動をしたのも個人個人です。

国民主権が具体性のない有害な概念ではなく、国民に主権を持たせない考えこそ、有害な概念だと私は考えます。
その最たる歴史が、西洋の貴族や王族たちが繰り広げた戦争です。

  • 質問者

    ayunosuke0311さん

    2014/6/1910:49:53

    国家をうまく運営するために、国民に様々な権利を保障したのが歴史です。しくみの問題なのです。

    問いとしては、国民主権という概念は現憲法上、国家を脆くしてしまうものでしかないのでは、という問いです。

    主権者として国民は何もできませんよね。

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2014/6/2413:44:19

主権とは「国家の最高独立性(対外主権)、最高統治性(対内主権)そして最高決定力(最高決定権)」を指す言葉です。
①国家が独立している(最高独立性)
②国家が統治している(最高統治性)
③これら国家の独立と統治の決定する力を持っている(最高決定力)
です。

国民主権は③にあたり、国家の独立と統治の最高決定権は国民にあることを言います。

つまり国家の最高独立性も最高統治性も、国民の最高決定力に拠り保障されていることを「国民主権」と言い、対象が国民ではなく人民の場合を「人民主権」と言います。

国民主権または人民主権で国民が守れないなら、世界最強国家を挙げて国民主権または人民主権じゃないと証明しないさい。

恐らく現在、世界最強国家群として挙げる、米英露仏独の何れも「人民主権」ないしは「国民主権」の国家です。

そして貴方の最大の間違いは、人間が独立した存在であることを否定する、その腐りきった【国賦人権】思想にあり、真に自由な人間は必ず『天賦人権』思想を選択することを知るべきです。

なぜなら人間とは自然に抱かれた時、どこまでも『個人』として『自由と生命の輝き』を持つからで、一度、自由を『理性』で理解し自主独立・自由意志を持った『自由人』は如何なる場合も、自分の『自由と生命の輝き』を奪おうとする者に牙をむいて抵抗するからです。

これが『天賦人権』が『自由権』『生命権』『抵抗権』を保障する理由で、日本国憲法は更に一歩踏み込んで『平和的生存権』を希求し、これは日本国憲法前文に有るとおり『平和のうちに生存する権利』です。
===
(日本国憲法前文より抜粋)
全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
===
つまり国家に支配され、奴隷、もしくは蟻の兵隊の洗脳を受けた人間は、こぞって【国賦人権】を当てにするが、本来、自然のありのままを『理性』が理解したら、人々の独立した『個人の自由と生命の輝き』を断固として守ろうとするのです。

この『個人の自由と生命の輝き』を断固として守ろうとするから、如何なる【国家主義、国粋主義、権威主義、社会主義、共産主義、徳治主義などの全体主義】に対し、『天賦人権』を掲げる人々は命がけで戦い、『個人の自由と生命の輝き』を守ってきたんです。

だから日本は負けたんです。

昭和天皇の側近中の側近の西園寺公望は帝国憲法の欠陥を良く知り、最後まで【天皇親政】に断固反対します。

しかし同じように【天皇主権】や【天皇親政】に反対した犬養毅らは暗殺され、西園寺も寿命で亡くなり、その後は軍部官僚どもによる天皇親政による【国賦人権】の【全体主義】国家に堕ちた日本は、さらに暴走して世界相手に自分勝手な【侵略】を繰り返して自滅します。

これが事実ですよ。

だから有害なのはむしろ【国家主義】で、『自由主義』の『天賦人権』こそが真に国家を守る武器となるんです。

そして日本人は戦後、その反省から『平和的生存権』を憲法に謳い、まずは『平和』を希求することが大事だと子孫に教えているんです。

そして『平和主義』とは、決して『生存権』を否定するのではなく、『生存権』を脅かす戦前の日本の様な【1933年に国連総会全会一致で、満州事変以降の日本の行為は自衛に非ずと糾弾されたにもかかわらず、さらに日中戦争や日米戦争を起こした平和を破壊する】国家があれば、躊躇わずに『(戦前の日本の様な)平和を破壊する国家とは断固として戦う』ことも含まれるのです。

その場合に腐りきったクズ思想の【国賦人権】に拠り【お国の為】に戦う奴隷根性の極みの空しさにくれべれば、遥かに『天賦人権』の『ただ自分の自由と生命の為』全ての人々が確実に『それぞれの個人にしか判らない自由を担保する』為に戦う方が遥かに多くの味方を得ることになり、必ず【国家主義】を掲げる【国賦人権】を打ち砕くんです。

なぜなら最後に人間は『理性』により自然のありのままを理解すれば、必ず『個人の自由と生命の輝き』を理解し、それを輝かせられる世界こそ守るに値するとの答えに必ず辿り着くからです。

そしてこの自然を理解する『理性』こそ、本居宣長の言う『大和心』そのものです。

だから【国家主権】は必ず、『人民主権』に負けるのです。

映画『怒れ!憤れ!ーステファン・エセルの遺言ー』より

主権とは「国家の最高独立性(対外主権)、最高統治性(対内主権)そして最高決定力(最高決定権)」を指す言葉です。...

taku17386271さん

2014/6/2000:36:22

うーん、実は質問者さんの考え方は国民主権を前提にしているはずなんですよね。

確かに、選挙によって選ばれた人たちが法律を制定し、具体的な権力を行使する現代国家においては、国民が国の統治権力を行使するという意味での国民主権は見えにくくなっています(かといって不要というわけではありません。)。

しかし、国家権力の正統化を求める、という意味での国民主権はちゃんと存在しています。国家は、具体的な権力行使が国民のためであることを国民に対して立証する責任を負っています。これが、国家権力の正統性が国民に存在する、という意味での国民主権です。

この意味での国民主権が存在していない状況では、国家は戦争が起ころうが、地震が起きようが、原発が爆発しようが、国民のために何もしなくていいはずです。少なくとも、国民に対して、自分たちはしっかりしてるんだということを立証する必要はありません。

しかし、それはいかんだろうと思うなら、それは国家は国民に対してちゃんとしていることを立証する責任がある、つまり国民主権が妥当していることを論理的な前提としているはずです。

要するに、緊急時に国民が何をできるかよりも、国家が国民のために何をできるかということが大事です。

緊急時に国家が機能しないのは、国民主権がダメだからではなく、端的に、国家がちゃんとしてないのがダメなのです。

日本国憲法は、国民は具体的な権力を行使するほど賢くないし暇でもないことを前提としていますが、国民のためにちゃんとしてくれる人を選ぶ能力はあることを前提としています。国家がちゃんと権力を行使してくれるためには、国民主権を廃棄するのではなく、私たち国民がそういう人をちゃんと選ぼうと考えることが必要です。

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masakaradayoさん

2014/6/1821:11:37

国家が何らかの災害に見舞われた際に政府の機能がマヒすることと、「国民主権」の概念は、まったく関係がありません。
政府がマヒすることには、災害なり、革命なり、暴動、戦争など色んな事情があるでしょうが、このことと、主権が国民にあると考えること=国民主権とは、無関係です。
例えば国家自体に法人格を認めて、主権は国家にあるのだと考えてみても、災害などで情報が遮断されれば、政府が身動きが取れなくなってしまうことは同じで何も変わりません。
こうした、災害、革命、暴動、戦争から国民を守るのは、主権がどこにあるかを考える主権論ではなく、これらの状況をどう防ぎ、どう対応するかという政治的な問題です。
主権がどこにあるか、国民か=国民主権、国家なのか=国家主権、君主か=君主主権、社会契約による人民か=人民主権か、どう考えようとも、主権論が国民を守るわけではないのです。

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2014/6/1820:53:54

>政府が麻痺すれば終わりなのです。

って、その時は、国家主権も麻痺じゃん。

>国家として有害としか思えない概念

無能って話はしていたけど、いつ有害の話したの???

>国民主権で国民は守れない。そう思いますが、どうやったら守れるか教えてください。

大震災時に、国民を守れるXX主権ってのがなにかあるの?

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aliedaa2007さん

2014/6/1820:48:43

「国民主権」とは、「国家主権」と対比する言葉ではありません。
「国民主権」と対比させるに正しい語句は、「君主主権」です。

主権を行使する「主権者」が、「国民」か、「君主」かと云うことです。

「国民主権」とは、主権者が国民であると云うことですよ。

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