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沖縄戦のことで教えて下さい>< 【沖縄本島に飛行場が多く作られた理由】がど...

hin********さん

2007/10/1418:53:19

沖縄戦のことで教えて下さい><

【沖縄本島に飛行場が多く作られた理由】がどうしても分かりません;
分かる方いらっしゃいませんか?

お願いします><
【高2・女子】

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mac********さん

編集あり2007/10/1703:28:16

太平洋戦争終戦前から、沖縄には日本軍の飛行場が多く、伊江島飛行場、那覇飛行場、読谷飛行場、嘉手納飛行場などがありました。(名称は現在のもので、旧日本軍のものとは違っています。)
アメリカが沖縄に進攻した目的は、太平洋戦争を早く終わらせたいので、北九州、阪神、京浜地区への24時間の爆撃を可能にするためだったのです。そのため、沖縄戦が終結する前から、上記飛行場を大幅に拡張し、他に普天間飛行場、牧港飛行場(現在は米軍倉庫)、金武飛行場(進攻時艦砲射撃で山の中腹をけずり、上陸後建設、現在米軍倉庫と住宅)、ボーロ飛行場(読谷の西にあった)、など応急につくりました。昭和20年5月ごろから、本土の大都市は昼夜を問わず空襲されるようになりました。米軍の搭乗員たちは、沖縄の基地に帰ると、ミルクとクッキーだけの軽食をとり、すぐに爆弾を満載済みの別の機に飛び乗って、本土の空襲に向かっていました。長崎に原爆を投下した機も、読谷飛行場に緊急着陸して、搭乗員が治療のため入院しています。住民の保護計画をつくらずに、多くの住民に死に追いやった日本軍への反感は、当時の沖縄の人たちの間では強く、本土空襲にむかうB29の整備、爆弾の積み込み作業など、ほとんど沖縄の人たちがやっていました。
普天間基地などは、当時、本土空襲用に応急的につくられた、サンゴと石灰を撒いただけの滑走路で、B29が離陸に失敗して事故を起こしたりしていました。沖縄の人たちにとっては、本土空襲用に急場しのぎにつくられた飛行場が、なぜ今も使われているのか納得できないのは当然だと思います。
その後、冷戦になり、対ソ連の東アジアの防衛基地と位置づけられ、多くの基地が残ることになりました。復帰後も、日米安全保障条約の役目をアメリカが果たすには、沖縄の基地が必要だとアメリカに言われ、まだ多くの基地がそのままです。
本土では、新たに沖縄の基地の代替として受け入れようとする動きもなく、現在、沖縄の人たちに多大な負担とストレスを強いていることになります。 個別の基地について、本当に日米双方にとって必要なのかどうか、再考と論議が必要でしょう。
インターネットで沖縄の地図を見てください。現在残っている米軍基地の滑走路は、ほとんど本土のほうに向けてつくられています。つくられた当時の滑走路が今も使われているのです。 当初の建設目的と、今日の利用目的との関係についても考えてみる必要があります。

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ベストアンサー以外の回答

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nig********さん

2007/10/1419:52:34

沖縄の、真ん中にコンパスを当てて、半径1000キロの円を描いてください。

1000キロなら、当時の飛行機の行動範囲内です。

中国にも台湾にも、日本の九州にも届きますね。

だから、沖縄を『キー・ストーン』というのです。

nik********さん

2007/10/1419:40:07

地理的に東シナ海における重要な戦略的拠点だからです、日本本土から台湾への中継点であり、三東半島、上海はもとより
遠くは南シナ海、海南島までを扼する兵站の拠点で、米国統治になってからは朝鮮戦争、ベトナム戦争に利用されました。

fre********さん

2007/10/1419:03:28

浮沈空母としての利用を考えていたのでは。

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