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毛利元就の時代の毛利家と 尼子家、大内家は不倶戴天の敵って呼べるほどの関係で...

sum********さん

2014/6/2805:33:13

毛利元就の時代の毛利家と
尼子家、大内家は不倶戴天の敵って呼べるほどの関係でしたか?

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kit********さん

2014/6/2806:22:45

どうなんでしょうか

もともと毛利家は大名家と呼ばれるほど大きな家ではなかったんですが
当時のこの地域の大勢力 大内家 尼子家のどちらについたりで少しずつ勢力を拡大して気がつけば両家を超える存在になったと思います

大内家については毛利は数多くいる地方勢力に1つに過ぎなく大友家と和睦後東進のためにふさがる尼子勢を攻めるに当たっての足がかり的な存在として毛利を見ていたと思います

尼子にとっては中国地方に大勢力を築き西の大内の脅威が迫ってきたところ毛利家が裏切りやがったみたいな感じでしょうか

そんな中で毛利が周りの小国を少しずつ落として領地を広げていましたが
大内家と尼子家にはやはり自力は劣っていたと思います水

両家にとっても毛利はさほど大きな存在ではなく少しめんどくさい存在とぐらいしか思われていなかったように思います

そんな中大内家は謀反により自壊し尼子はカリスマ大党首が死去するという跡目争いが勃発し
気がつけば毛利家が近隣では大きな存在になっていたと思います

が大内はもとより尼子にとっては弱体化したとはいえ毛利家に負けたことが御家崩壊の原因となったので毛利をうらんでたと思いますし

ただ戦国時代このような関係はいろんなところで起きていますので
もし!というのがあれば
大内家で謀反が起きずにいれば毛利は大内に負け滅ぼされていたかもしれませんし

尼子晴久が生きていれば中国地方はほとんど尼子家の領土だったかもしれませんし

3家とものこり拮抗していたかもしれません

宿敵というか戦国の流れというかそんな感じじゃないでしょうか

質問した人からのコメント

2014/6/28 08:06:02

笑う 詳しい説明ありがとうございます理解できました。 他の皆様もありがとうございましたm( _ _ )m

ベストアンサー以外の回答

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bir********さん

2014/6/2807:54:41

大内と尼子が長年、戦っていた理由は、
石見、安芸、備後、備中、備前という
広大な領域の5領国みな守護大名が、
不在か、いても弱体化しており、
そのような広大な領土を巡って、
大内と尼子は取り合い、を、したわけで
安芸においては、小領主ら、が、
大内に味方するのと尼子に味方するので
拮抗していました。足利幕府が決めた
安芸の守護は武田氏だったが衰退し
大内と尼子は安芸を支配するため戦い、
武田氏も復活のため大内に味方、
安芸の地頭の毛利氏は、同じ地頭格の
吉川氏と同盟関係にあるなか、
武田氏と同盟した安芸の地頭の熊谷、
武田と熊谷の軍勢が吉川を討とうとしたので
毛利家当主の弟、毛利元就は嫁が吉川氏出身で
嫁の実家の救援に援軍を指揮、
毛利・吉川と武田・熊谷の戦い、は、
毛利・吉川が勝利。当時は毛利、吉川は
尼子の味方だったが、
毛利家当主が急死したあと、毛利家の
後継争い、が起きて、毛利元就と
庶弟の相合元綱が争い、尼子は元綱を
、そそのかして元就を討とうとしたが
返り討ち、に、あい、毛利元就は
毛利家を継ぐと、弟を討つ羽目を、つくった
尼子を憎んで敵視して毛利は大内に寝返った。

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