三種の神器について質問です。 歴代天皇が継承する「三種の神器」は三つとも現存しているのですか?

三種の神器について質問です。 歴代天皇が継承する「三種の神器」は三つとも現存しているのですか?

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ベストアンサー

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現存していることになっているのです。 ただし、草薙の剣は、壇ノ浦に沈んだという説もあります。 以下引用。 inoues.net/mystery/3shu_jingi.html - 天孫降臨とともに地上にもたらされた鏡は、その後の伝承によれば、第10代崇神天皇の時代までは天照大神として宮中に祀られていた。しかし神の勢いが強く、これを恐れた天皇は代替品を造ってこれを宮中に残し、現物は豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託して宮中外へ運び出させやがて伊勢の地に落ち着いた。これが伊勢神宮(内宮)の起こりであり、八咫の鏡が御神体となった。(古語拾遺) これを信用すれば現在皇居にある鏡はレプリカという事になる。しかし、「小右記」「御堂関白記」という書物には次のような記事がある。平安時代天徳4年(960年)、内裏に発生した火災のとき、剣と曲玉は持ち出せたが鏡の置いてあった温明殿(賢所、または内侍所とも呼ばれる)は全焼してしまった。しかし、焼け跡から無傷の鏡が3面出てきたというのだ。つまり宝鏡は3体あったことになる。その後も何度かの火災により鏡は焼け出され新たに鋳造したとかいう記事や、破片を拾い集めてそれを御神体としたという記事などが見える。決定的なのは文治元年(1185)、壇ノ浦で平家が滅亡した際、8才の安徳天皇とともに3種の神器は海の底に沈んでいるのである。(もっとも、後に海から拾い上げられたと言う話も残っている。) 現在の皇居には、皇霊殿、賢所、神殿が宮中三殿として並んで建っている。中央の一段と高くなった賢所は天照大神を祀り、ここに鏡が安置されていると言われているが、現在では、天皇自身もこの3種の神器を見ることは許されていない。 「草薙の剣」は有名である。日本武尊(やまとたけるのみこと)が駿河で狩りをしている時に、土地の豪族に野に火を放たれた。この時腰に差していた「天の群雲の剣」がひとりでに抜けて傍らの草むらをなぎ倒した。故に「草薙の剣」と言う。(日本書紀) 熱田神宮の御神体であるこの剣は、そもそもの出現はこうである。出雲へ使わされた素戔嗚尊は、櫛稲田姫(くしなだひめ)を助けるために八岐大蛇(やまたのおろち)と戦った。十握剣(とつかのつるぎ)で大蛇の尾を切ったとき、刀の刃が欠けたので見るとなかに剣があり、これは不思議な剣だとして素戔嗚尊は天照大神に献上した。「古事記」にはこの剣は「都牟刈(つむがり)の太刀」と言う名で現れる。本居宣長は「都牟刈」を、「物を鋭く切る」という意味だろうとしているが、こんな表現は他のどんな伝承記事にもなく、本居宣長も自分の想像で言っているだけのようである。「都牟刈」を「丸くなっている」意味だとして、「草薙の剣」を環頭太刀にあてる意見もある。 鏡と同様、ニニギの尊の降臨に伴って「草薙の剣」も再び地上にもたらされる。それ以後の「草薙の剣」の足取りは不明である。第12代景行天皇の時、東国征伐に出かける日本武尊(景行天皇の次男)が、叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)から伊勢神宮にあった「草薙の剣」をさずかるのである。どうして剣も伊勢神宮にあるのかについては何も伝承がない。日本武尊は尾張の国で宮簀姫(みやすひめ)と夫婦になるが、伊吹山に荒ぶる神々がいると聞いて、「草薙の剣」を熱田に置いたまま伊吹山へ向かい神々と戦って命を落とす。残された宮簀姫は「草薙の剣」を祀って社を建てる。これが今日の「熱田神宮」だという事になっている。(日本書紀・尾張国風土記・熱田大神宮縁起) この剣が熱田神宮から宮中へどのように移動したのか、あるいは鏡と同じように複製を宮中へ納めたのかについても何一つ伝承はない。しかし熱田神宮と宮中の二カ所に現在も宝剣は存在している(と思われる)。鏡の項で記したように、宝剣も安徳天皇の入水とともに海底に沈む。後に引き上げられたという話の中でも、この剣は見つからなかったとされており、第84代順徳天皇即位の時(1210)、伊勢神宮の倉から1本の剣が選ばれて三種の神器の一つに加えられた。(その後、壇ノ浦から剣がひとりでに浮かび上がり、その剣をある法師が発見したとかいう話なども現れている。) 熱田神宮には、奉納以来綿々と「草薙の剣」は存在しているという事になっているが、天智天皇の頃一度盗まれた話もある。剣はまた熱田神宮へ戻っている。江戸時代に、熱田神宮の大宮司が神官達4,5人で密かにこの御神体の宝剣を盗み見たという記録があるが、見た者は次々に死んでいき、一人生き残った者がその記録を書いたと言うエジプトの墓荒らしのような話もある。これは記事を書いた書き物が残っているそうなので、ほんとに見た記録なのかもしれない。その記事から想像できる「宝剣」は弥生・古墳時代にかけての遺跡から出土する「有柄細型銅剣」(福岡県三雲遺跡出土。吉野ヶ里からも出土。)に似ていると言う。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

詳しく説明していただき、ありがとうございます。 大変、勉強になりました。

お礼日時:2007/11/5 14:46