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「うな丼」と「うな重」のちがいって、単にどんぶりに入っているか、じゅうに 入...

rst********さん

2007/11/1120:48:59

「うな丼」と「うな重」のちがいって、単にどんぶりに入っているか、じゅうに
入っているかの違いだけですか?それとも何か分かれたきっかけがあった
のですか?
ご存知の方、教えてください。

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回答数:
1

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ベストアンサーに選ばれた回答

編集あり2007/11/1121:10:07

■■■回答■■■
基本的には、用いる食器が丼であれば「うな丼」、重箱なら「うな重」とすることが多いですが、「うな重」とは鰻が重なった状態の鰻重ね(うながさね)を意味するとして、御飯と鰻の蒲焼をサンドイッチ状(=挟む)にして、表面の鰻の下のご飯の下に更に蒲焼が入った合計二匹分の蒲焼が入ったものを「うな重」と呼ぶ地域や店舗もあります。

また「うな丼」と「うな重」が分かれたきっかけについてですが、うなぎが食べられ出した頃(江戸中期)には、「うな丼」「うな重」というものはなかったそうです。
つまり、元々は鰻の蒲焼とご飯を別々で食べていたということです。
江戸時代末期になると芝居小屋でも食べられるようになり、冷めないようにとどんぶりが使われるようになったそうです。
でも、その頃には今のように蓋はなく蓋がある丼が登場するのは明治時代に入ってからで、大正時代に入ると、陶器の器ではなくもっと高価な器(漆塗り)が登場してきました。
重箱を使うことにより見た目もよくなり、器を上絵などを書き加えた漆器を使用することにより高級さをアピールしていったようです。

歴史の順にすると、鰻の蒲焼→うな丼→うな重の順です。

■■■さらに詳しく■■■
江戸で、うなぎの蒲焼の営業が始まったのは、元禄時代(江戸中期)であり、この時にはまだ「うな丼」は登場していません。
江戸末期になると、江戸の芝居小屋で、蒲焼が冷めないようにと「うな丼」が始められるが、当時は「素焼きの蓋無しの丼」でした。
蓋付の丼が登場するのは明治時代に入ってからです。
そして大正時代になると、一部の「ウナギ愛好家」の発案で粋で高価な器、輪島塗等の「漆塗丼」が登場してきます。

「うな重」が登場したのは、昭和35年以降のことです。
最初に「うな重」を考案した店は、東京の「重箱」という店であり、体裁がよいので他店もそれを真似るようになったと書かれています。
そして、「うな重」の器に金・銀で秋草などの上絵を描くと言う技法を取り入れ、「うな重」を更に高価で上品な形として位置づけしていくことになりました。

■■■参考URL■■■
鰻重 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B0%BB%E9%87%8D

うな丼とうな重の違い
http://www.noge-7fuku.com/unagi_unadon.html

うなぎ(鰻)のこと何でも聞いて下さい
http://www.i-liberty21.com/costa/qa.htm#q13

質問した人からのコメント

2007/11/16 00:40:31

降参 詳しいご回答をありがとうございました。

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