給食時の「いただきます」「ごちそうさまでした」強制に断固反対です。
給食時の「いただきます」「ごちそうさまでした」強制に断固反対です。 給食の際に「いただきます」「どちそうさまでした」を強制させる意味として作ってくれた人への感謝といいますが給食調理員には賃金が支払われております(税金から)。これに対して感謝させるというのは資本主義社会の理念に反し誤った教育といえます。 栄養士は体裁上の献立のみを作っております、旧体制そのもので社会の癌といえます。 保護者が給食費として食材費を支払っているので生産者に感謝の必要もありません、自動・保護者側が客なのです。 動植物の命に感謝といいますが食料品は物であります。先物買いをしている投資家にとっては不作になれば莫大な地益を獲得できるのです。日本においてコメの先物上場が実現できないのも「食料は大切なもの」という愚かな考えがあるからです。 日本の将来を弱体化させる子供にさせる原因である「いただきます」「ごちそうさまでした」強制を廃止させるのはいかがでしょうか。
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ベストアンサー
「いただきます」は言葉も気持ちも宗教上のものである。 原始時代、我々の祖先は100%自給自足の生活を送っていた。 「神」や「仏」が存在しない時代には「いただきます」という言葉はもちろん、感謝の気持ちもなかっただろう。 仮に感謝していたとすれば、健康な自分の体と、大地の恵みに対してであろう。 植物や動物の命を奪って自分が生きるという罪悪感はあったかもしれないが、「いただきます」は罪悪感から生まれた言葉ではないはずだ。 では、「いただきます」が人間に対する感謝の気持ちであった場合はどうだろう。 第一次産業の人たちは、基本的には他の物やサービスを得る為に食物を提供しているのだ。 第二次・第三次産業の人々も、食物でないとしても自分の利益を得る為に何かを提供している面では同じである。 ならば、食べ物を食べるときにだけ「いただきます」を強制させるのは矛盾が生じる。 休み時間に飲む水や、授業で使うノート・えんぴつ・教材・跳び箱、制服やクスリ、トイレを流す排水に至るまで、消費や使用する度に「いただきます」を強制させるべきではないか。 日本の小中学校に入学した外国人からすれば、学校の規定にはないのに、給食を食べる時に「いただきます」を言わなければならないのは文化や宗教の押し付けであり、罰である。 従って学校が「いただきます」を言わせるには、髪型や格好、制服の着用などといったマナーと同様に、規律として「いただきます」を言うを盛り込まないとならない。 仮に規定になければ、言う言わないは基本的自由でなければならない。 授業をうける度に、驕り高い先生が「お願いします」を強制で言わせるのと一緒である。 教育を受ける権利や、給食費を払えば食べられる権利を侵害してはならない。 そして何事にも感謝をする気持ちが大事だというのは、学校で道徳を学べば誰でも知っている事なのだから、「いただきます」の題目で感謝の精神を論議するのはお題違いである。
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質問者からのお礼コメント
素晴らしい回答です。 私は前IDでもこの号令反対をしてきました。 給食調理員に感謝の手紙などとんでもないことです。 教師による思想弾圧です。 コミュニケーションの言葉としては児童(客)側からの言葉は「ご苦労さん」「今日は頑張ったなあ」が適当といえるでしょう。 栄養士や教師・調理員は児童の立場を愚弄しているといえるでしょう。
お礼日時:2007/11/20 17:49