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足利義輝の時代に幕府に協力的であった大名、また敵対的であった大名を教えてくだ...

kus********さん

2014/9/1412:41:02

足利義輝の時代に幕府に協力的であった大名、また敵対的であった大名を教えてください。特に畿内の情報が知りたいです。

義輝が幕府を再興できたとすれば、最大の輔弼者であっただろう大名はどこですか?

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miu********さん

2014/9/1419:53:20

六角氏だったと思います。

義輝の父、12代将軍足利義晴は、最初管領家の細川高国と播磨守護代浦上村宗などに擁立されて入京しますが、紆余曲折あり最後は近江の六角氏を頼ります。

六角頼定は足利義輝の烏帽子親であり、再三畿内の紛争に介入し様々な仲介をしており、一貫して義晴・義藤(義輝)派でした。

三好長慶は最終的には足利義輝と和睦し、義輝を擁護する立場にありましたが、全体的には対立している期間が長く、足利義輝の功臣という印象はありません。

ただ、六角氏は頼定の息子義堅になってからは、おおむね将軍義輝派としての行動を取っていますが、将軍の意に従わない姿勢も見せています。
さらに観音寺騒動により家勢を落としてしまったので、結局は将軍家の重鎮としてにらみを効かせる事はできなかったかもしれません。

義輝は六角氏に代わる後ろ盾として三好長慶に頼らざるを得なかったと思いますが、その後も六角氏・三好長慶に代わる軍閥を囲う事ができず、身を護る事ができませんでした。



享禄4年
・細川晴元の要請により、三好元長の軍が畿内に戻り細川高国=浦上村宗派と戦う。
・赤松政村が、父のカタキである浦上村宗を討ち取る。細川高国は逃亡先で捕えられ自刃する。
天文元年
・義維派だった細川晴元が、12代将軍足利義晴と和睦を図る。三好元長、畠山総州家義宣らはこれに反発する。
・細川晴元、畠山総州家家臣木沢長政、茨木長隆などの働きかけにより、本願寺証如が一向衆を蜂起させ、三好元長、畠山総州家義宣を自刃に追い込む。
・後ろ盾を失った足利義維が阿波へ脱出する。
・大和の一向宗が、細川晴元に反発して蜂起する。
・近江守護六角定頼、法華宗徒が一向衆の総本山山科本願寺を攻め焼く。
天文2年
・細川晴元が本願寺証如と和睦する
天文3年
・将軍義晴が入京する。 【将軍義晴・管領晴元体制】
・木沢長政の仲介により、細川晴元と阿波の三好長慶が和睦する
天文7年
・木沢長政と遊佐長教の主導により、畠山尾州家と畠山総州家が和睦する
天文10年
・細川晴元が、三好長慶に摂津の塩川氏攻撃を命じるが、木沢長政、摂津国人伊丹氏・三宅氏などが反発して挙兵する。
天文11年
・三好長慶と、木沢長政に追放されていた畠山尾州稙長らが、木沢長政の軍を破り長政を斬る。
・木沢長政派と旧細川高国派が結びつき、細川氏綱を擁立して挙兵。畠山尾州政国、遊佐長教、大和筒井氏などがこれを支援する。
天文12年
・細川晴元が、細川氏綱派への攻撃を三好長慶に命じるが、戦いは長引く。
天文13年
・将軍義晴が細川氏綱に通じていたとして、細川晴元と不和になり、近江守護六角頼定が軍を率いて入京する。
天文15年
・近江に逃れていた将軍義晴が、息子義藤(義輝)に将軍職を譲る。義藤の元服の際の烏帽子親は六角定頼。細川晴元は義藤の将軍就任を認めなかった。
天文16年
・細川晴元派(三好長慶など)と、細川氏綱派(遊佐長教、畠山政国など)が激突して双方に千人以上の戦死者が出る。
・六角定頼の仲介により、三好長慶と遊佐長教が和睦。三好長慶が遊佐長教の娘を娶る。
天文17年
・三好長慶が、細川氏綱・遊佐長教と手を結び挙兵。細川晴元や三好政長の勢力を攻撃する。
・細川晴元が、足利義晴・義藤親子と和睦。義藤を将軍として認める。
天文18年
・細川晴元が、前将軍義晴、将軍義藤を伴い近江の坂本へ脱出する。
天文19年
・前将軍足利義晴没
・細川氏綱を奉じる三好長慶が入京する。
天文20年
・三好長慶の徴税に都の民が反発する
・三好長慶の岳父、遊佐長教が暗殺される。
天文21年
・六角定頼の仲介により、将軍義藤(義輝)と三好長慶が和睦、将軍義藤が入京する。
・若狭で細川晴元が挙兵する。将軍義藤が通じていたとされ、義藤は近江へ脱出する。
・六角定頼没、息子の六角義賢が跡を継ぐ。
弘治2年
・将軍義輝の仲介により、朝倉義景と加賀一向宗徒が和睦する
永禄元年
・六角義賢の仲介により、将軍義輝と三好長慶が和睦して、義輝が帰京する
永禄2年
・織田信長、上杉謙信が上洛し、将軍義輝と謁見する。
永禄3年
・三好長慶の仲介により、将軍義輝がイエスズ会の京での宣教を許す。
・三好長慶が、畠山高政・河内守護代安見直政を攻撃する。
永禄4年
・三好長慶と細川晴元が和睦する
永禄5年
・畠山高政、根来衆らが、三好義賢を戦死させる。
・将軍義輝、三好義継、松永久秀らが京を離れる。
・六角義賢が京を占領、徳政令を出して一揆を味方につけ三好長慶派を排除しようとする。
・三好康長・松永久秀らが、畠山高政・根来衆を紀伊に敗走させる。
・六角義賢と三好義興が和睦。将軍義輝が京に戻る。
永禄6年
・六角義治が家臣後藤賢豊を誅し、家臣団と対立する(観音寺騒動)
永禄7年
・松永久秀の讒言により、三好長慶が弟の安宅冬康を殺す。
・三好長慶没、三好義継が跡を継ぐ。
永禄8年
・松永久秀と三好三人衆が二条館を襲い、将軍義輝を自刃に追い込む。

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dsd********さん

2014/9/1414:41:58

>義輝が幕府を再興できたとすれば

は? 再興も何も足利義輝の時点でいつ室町幕府が滅んでましたか?

>足利義輝の時代に幕府に協力的であった大名、また敵対的であった大名を教えてください

そりゃ、足利義輝を最も庇護した大名は「三好長慶」ですよ。
あと、松永久秀および三好一族ですね。

しかし、足利義輝は「将軍親政」などという虚しい目標を立てたために
三好長慶の死後に松永と三好三人衆に睨まれて暗殺されました。

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