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日本軍の将校の評価をお願いします! 人物は以下の人です。 栗林 忠道 中川 ...

kam********さん

2015/1/1921:12:43

日本軍の将校の評価をお願いします!
人物は以下の人です。

栗林 忠道
中川 州男
牛島 満
南雲 忠一
大西 龍次郎
宇垣中将→下の名前を忘れたので階級です。

以上の方々です。評価お

願いします。

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he0********さん

2015/1/2120:49:14

栗林忠道 万歳突撃を禁じ、ゲリラになって戦うよう命令し、軍人の鑑だった。
中川州男 大本営では「ペリリューはまだ落ちない」が朝の挨拶だった。
牛島満 八原博通作戦参謀の意見を聞いていれば、もう少し米軍に被害を出せた
南雲忠一 真珠湾攻撃の時、第二次攻撃を出していれば・・・
大西瀧治郎 この人物さえ居なければ、特攻隊は無かった
宇垣纏 最後に特攻隊員との約束を果たした。

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grs********さん

2015/1/2213:36:43

栗林忠道・硫黄島守備隊指揮官として一躍、戦史にその名を留めますが、硫黄島の戦闘以前は、軍参謀長や留守近衛師団長などの歴任で、軍人としては目立った軍歴や功績はありませんが、日本より米国のほうが評価も知名度も高い軍人といます。
日本守備隊の3倍以上の兵力と圧倒的な火力に対し、米軍の死傷者総数が日本軍のそれを上回る損害を与えた唯一の戦いであり、米軍の予想をはるかに超える1ケ月半も防衛し、B29の本土爆撃もこの間延長されるなど、補充兵の多い守備隊編成でよく奮戦した戦果は称賛に値します。

中川州男・西南、日清、日露と参戦した歴史と伝統の名誉ある水戸の歩兵第二連隊長として、戦争末期に満州から南方へ 部隊が移動した現役兵主体の精鋭連隊で、日本領パラオのペリリュー島守備隊長として米軍との孤軍奮闘の戦いぶりは米軍を戦慄させるほどで、上陸した米海兵第一連隊は死傷者続出で陸軍部隊と交代せしめます。
少兵力で長期間持ちこたえるため、島を地下陣地化して兵の保全に努め、また兵の過早な玉砕を戒め、持久戦で敵に多くの出血を強いる作戦は、後の硫黄島や沖縄戦の参考となります。
私個人の評価として6人の陸海軍人の中では中川連隊長が、軍人としての真価をもっとも発揮した人物であると思っています。

牛島満・沖縄守備隊32軍の指揮官としてよく健闘したと思います。指揮官として着任後に精鋭の第九師団を台湾への移動で引き抜かれ、作戦計画が大幅に変更されることとなりますが、これは軍上層部の失策であり、これがなければ米軍の損害も増大したはずです。牛島自身は戦場指揮官の経験は豊富で、中国の武漢作戦、南京攻略戦にも参戦しています。
日本での評価はあまり高くありませんが、米国の軍事評論家H・ホールドウィンは「太平洋戦争において日本軍の指揮官の名前を二人あげるとするならば、陸の牛島、海の田中」と言って高い評価を与えています。(田中とはガダルカナル戦のサヴォ島沖海戦で戦果をあげた第二水雷戦隊司令官の田中頼三少将です)

南雲忠一・栄光から悲劇への提督だと思います。
本来は水雷戦の権威で海軍部内では名が通っていましたが、専門外の機動部隊指揮官となり、これまで航空部隊の指揮は経験なく、司令部参謀に一任していた状態で、真珠湾から破竹の勢いで米英を駆逐し、ナグモタクスフォースと米英に恐れられますが、ミッドウェー海戦で大敗北を帰し、南太平洋海戦で雪辱をはかりますが、ここまでが指揮官の限界で、後にサイパン島の海軍部隊指揮官として戦死します。
開戦時から機動部隊ではなく、南方攻略の艦隊指揮官として登用していれば、能力を十分に発揮できていてのではなかと思います。
日本陸海軍の旧態依然とした人事配置の弊害の指揮官であったと思います。

大西龍次郎・日本海軍航空隊の草分けでもあり、発展させた功労者で、山本元帥の信頼が厚く、真珠湾作戦を源田実に任せ、航空部隊の支援に尽力します。
戦争末期にフィリピンで特攻作戦を立案し、特攻の父と称されますが、内心は作戦の外道だと自覚しており、そして終戦の日に割腹自決で責任をとります。
兵学校の成績が低く、海軍大学も出てないため、主要なポストの歴任がなく、敗戦まじかに指揮官となったは惜しまれます。
開戦時に機動部隊の参謀長か航空部隊の指揮官に任じていれば、十分な活躍したはずで、これも人事悪弊の結果です。

宇垣纏(まとめ)・花の40期とよばれる海軍兵学校の40期卒で、同期に大西龍次郎、山口多門、福留繁、岡新、多田武雄、千田貞敏など開戦時の司令官クラスを多く輩出して、宇垣自身も上位の成績で卒業した優等生で、現場指揮官ではなく、司令部参謀の配置が多く、また航空派でなく大艦巨砲主義派で、海軍中央部に置いていては航空兵力の拡大に支障をきたすため、山本の意図で連合艦隊司令部参謀長に異動させます。
その後、第一戦隊(大和・武蔵)司令官としてレイテ沖海戦に参加、戦争末期に第五航空艦隊司令長官として沖縄特攻作戦を推進、終戦の玉音放送後に、自らに搭乗して彗星艦爆11機を道ずれに特攻作戦を敢行し戦死します。
終戦で自決するなら自身一人で責任を取るべきで、あらた未来ある戦後の日本復興の原動力なる若者を道ずれにしたことは批判される行為であったいえます。
その意味でも6人の中では評価に値しない指揮官であると思います。

マサさん

2015/1/2008:44:33

栗林さん以外は知らんから答えにくい。栗林さんは軍人最後の維持と万歳突撃をやめた英雄。あの硫黄島の戦いがなかったら東京は完全に焼け野はらになっていた

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