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関西電力が首都圏に石炭火力発電所を新たに建設することを決めたそうです。 電力...

tha********さん

2015/4/1418:12:31

関西電力が首都圏に石炭火力発電所を新たに建設することを決めたそうです。
電力事業の自由化に備え、首都圏での売電を目指すためだそうです。
これからどうなると思いますか?

消費者にとって、電力は安くなって行きそうですか?
関西電力の経営状態は改善しそうですか?
いずれ中部電力あたりと経営統合されて、東京電力に対抗したりするようになるでしょうか?
しかし、CO2発生量の多い石炭火力なので、後々問題になりそうですか?
天然ガス火力にした方が賢そうですか?
石炭の方が安くて良さそうですか?
当然、日本独自の酸素ではなく空気を使った低コストの石炭ガス化技術で気体燃料を作って、コンバインドサイクルで発電するんでしょうね?

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ムーミンさん

2015/4/1908:35:10

>関西電力が首都圏に石炭火力発電所を新たに建設することを決めたそうです。
電力事業の自由化に備え、首都圏での売電を目指すためだそうです。
これからどうなると思いますか?
⇒これが電力自由化の姿です。

>消費者にとって、電力は安くなって行きそうですか?
⇒安くなっていきますが、電気の質は悪くなっていくでしょう。電気の質とは停電とか周波数変動とか、田舎の一軒家での電気料金の値上げなどです。

>関西電力の経営状態は改善しそうですか?
⇒電力自由化では、経営は不安定になります。末尾の東電設立の歴史を参照下さい。

>いずれ中部電力あたりと経営統合されて、東京電力に対抗したりするようになるでしょうか?
⇒そうなる可能性があります。東京電力は、関電と中電が経営統合して東電になったような歴史があるのです。末尾の東電設立の歴史を参照下さい。

>しかし、CO2発生量の多い石炭火力なので、後々問題になりそうですか?
⇒欧州から非難の声が上がるかもしれませんが、無視するか、CO2問題は欧州が発展途上国に押し付けた不平等条約であることを指摘して反論すれば良いと思います。

http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n339481

> 天然ガス火力にした方が賢そうですか? 石炭の方が安くて良さそうですか?
当然、日本独自の酸素ではなく空気を使った低コストの石炭ガス化技術で気体燃料を作って、コンバインドサイクルで発電するんでしょうね?
⇒電力自由化の時代に、CO2を減らすのは賢くありません。石炭のほうが電気が安く作れるので賢いやり方です。



=================末尾の東電設立の歴史=============

明治維新で文明開化の象徴は、ガス灯でした電気ではありません。

その後、灯は電気に変わりました。電気屋は、電灯屋で、蛍光灯やLEDを点ける時に電気をつけるというのは、その名残です。

19世紀は電灯が中心ですが、19世紀末に日清戦争に勝って、その資金で八幡製鉄所を作り、工業化が進み、日露戦争に勝って、ドンドン工業化が進んでいくと、電気屋が増えていきました。

東電の創業者の一人の松永は、1909年に九州で福沢諭吉の息子の福沢桃介と福博電気鉄道を初め、電気事業に乗り出し、翌年九州電気を設立して、M&Aで、九州から山口県へ事業を拡大していく。桃介は株で大儲けをして、電気事業に次々と投資をしていき、名古屋電灯の株を買占め筆頭株主となり、常務で入社し、第一次大戦が始まった1914年には社長になり会社を乗っ取りしたような形になった。更に、M&Aで、木曾電気興業、大阪送電を吸収合併し、大同電力を作り社長となった。またまた、更に、名古屋電灯と関西水力電気をM&Aで関西電気として社長になった。そして、関西電気と吸収電灯鉄道と合併して、東邦電力とした。社長は福沢、松永は副社長となった。東邦電力は、九州、四国、中国、名古屋が事業地域であったが、松永は本社を東京に移転し、東京侵出を図った。

そして、手始めに、静岡と山梨に7つの水力発電所を持って、横浜、川崎、東京の南部に供給権を持っていた早川電力を手に入れた。安田財閥から、東京の北部と東部に供給権を持つ群馬電力を手に入れた。そして、1925年に早川と群馬を合併させて東京電力を作り、鶴見に3万5千キロワット×2基の火力発電所を作って、水力と火力の両方の供給体制を整えた。更に、田代川水力、静岡電力を吸収合併し、郡山電力と提携し、猪苗代湖の水利権も手に入れる。こうして、計画中の火力発電所も入れると関東圏への供給可能電力は65万キロワットとなり、東京電灯の57万キロワットと互角の勝負が出来る体制となった。

東電(東京電灯)・東力(東京電力)戦争と呼ばれた熾烈な販売合戦が繰り広げられた。

手始めに1927年1月1日に、南葛飾、江東地区の工場の東京電灯シェアをから東京電力は3割のシェアを奪い取った。

その戦法は、東京電灯は月に二日電力の供給が無い日があったのを、無休で電力を供給し、3割安くするというものであった。工場はどんどん東京電力から電気を買うようになり、大口の東京の市電や、鉄道省、東部鉄道も東京電力から買うようになった。家庭の電灯料金も東京電灯よりも安くしたので、東京電力から買うようになる家が増えた。

東京電灯も安売りで対抗し、少し前の携帯電話の競争のように、両方の電気会社を渡り歩く人が増えたので、朝東京電灯だったのが夕方には東京電力と言うような家もあり、お互いのサービスマンが鉢合わせし、大喧嘩が起こったようなこともあったらしい。

その結果、東京電灯の株が1年で1/10まで値下がりしてしまい、両社が共倒れになる恐れがあるとして、東京財界が、東京電力と東京電灯を合併させ、存続会社名は東京電灯となった。松永は、社外取締役にしかなることができず、この悔しい思いが、戦後東京電力ほか9電力体制をつくり、東京電力の社長の椅子を掴み取る原動力となった。

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