新渡戸稲造は、日本人が無宗教でありながら、日本人の心を持ち、秩序を保っているこを、武士道と表現しましたが、これは神道と仏教、道教、儒教などの日本ならではのいいとこどり、および太古からの自然崇拝、祖霊崇

新渡戸稲造は、日本人が無宗教でありながら、日本人の心を持ち、秩序を保っているこを、武士道と表現しましたが、これは神道と仏教、道教、儒教などの日本ならではのいいとこどり、および太古からの自然崇拝、祖霊崇 拝とはまた違うのですか?

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乃木希典大将は、ヨーロッパで当時流行りだした社会主義に対して記者から問われた時、「社会主義は、平等に愛すると言うが、武士道は、己を殺して人を助けるもの。即ち、日本の武士道の方が一段上である。」と答えたそうです。 江戸時代までは主君の為にが、明治になり国家の為に変わってきたと思います。確かに、明治の人物には、私利私欲や自己顕示欲ではなく、ただ与えられた役目を成すだけといった人物、特に軍人に多いような気がします。 でも、それは明治の日本だけかもしれません。特に太平洋戦争での敗戦で、アメリカの文化、思想が浸透していく中で、そういった思想は薄くなっているような気がします。特に現代では、権利意識ばかりが先立っているような気がします。 まあ、武士道の基となったのは、儒教や朱子学なんかの思想だと思いますが。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

みなさんそれぞれ大変参考になりました。 ありがとうございました。

お礼日時:2015/5/19 13:07

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宗教という概念こそが外国のものです。 日本人にとって外国でいう宗教は当たり前で信じる信じないとかじゃないんです。 文化の一部であり自然の中にある当たり前のもです。 剣道、柔道、弓道、合気道、居合道、武道、茶道、と道と表現されてる。 道を取ると、剣術、柔術、弓術、護身術、居合術、武術、茶術、と技術だけになる。 武道とは武士道の略です。 神道も随神の道であり、神とは信じる信じないではなく見つけるか見つけないかです。 または気づくか気づかないかです。 それを探すのが随神の道です。 それぞれが自分の道で見つける事です。 人知を超えた霊術を神術といいます。 自然崇拝なのは自然の全てを神が作ったからです。 宇宙を創造したのは造花三神で、造化三神が消えた後にの次に二つの神が現れ、次に七代の神が現れた。七代の神の最後に産まれたのがイザナギとイザナミでこの2人が日本列島を作った。 風も海も木の神も産み出した。 イザナギからアマデラスとツクヨミとスサノオが産まれた。 このように自然崇拝するのは全てが神だからです。

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日蓮正宗信徒の者です。 武士道自体は江戸時代に成立したものであり、日本古来の価値観の延長ではありますが、より封建的なものです。 日本太古の自然崇拝等は、もっと自由で気楽なものですよ。

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日本人は昔から、無宗教ではありません。 現代のものさしで昔を測っても、何も解りませんよ。